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ジュニア時代に、レムコ・エヴェネプールを破ったビニヤム・ギルマイはアフリカ自転車の歴史を作るのか

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Photo credit: Ronan Caroff on VisualHunt.com
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ヘント〜ウェヴェルヘムでは、石畳のレース参加2回目のビニヤム・ギルマイが勝利した。

しかも、一流スプリンターのクリストフ・ラポルトを破った価値ある勝利だ。

 

アフリカのライダーが石畳のクラシックを獲得するは初めてのこと。

21歳のビニヤム・ギルマイはジュニア時代に無敵を誇ったレムコ・エヴェネプールを破ったライダーの一人だ。

ビニヤム・ギルマイについて現在わかっていることを見てみよう。

 

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レムコ・エヴェネプールを破った男

 

彼はエリトリアの首都で標高2,300mで生まれた。標高が高いということは、赤血球が多く、筋肉内の酸素輸送が最適であることを意味するため、自然なメリットがある。

コロンビアのライダーと同じような環境で走っているわけ。ギルマイは、85を超えるVO2maxを持っている。

人工600万人のエリトリアではサイクリングが最も人気のあるスポーツ。大工である父親は息子たちにサイクリングを行わせた。

すると、ビニアムはすぐに最も才能があることがわかる。エリトリアでは次々とレースに勝った。そてでUCIから国際トレーニングセンターでトレーニングをするように招待をうける。

毎月100スイスフラン(約1万3千円)のポケットマネーを受け取った。ギルマイはそれで十分だったと。

2018年ジュニアとして、アフリカ選手権の3つの分野で優勝。8月にベルギーに渡る。

そこで、ジュニア時代から無敵を誇っていたレムコ・エヴェネプールに一騎打ちで勝ったのがビニヤム・ギルマイだ。

17歳のビニヤム・ギルマイは、Aubel – Thimister – Stavelot(2.1)第1ステージで、レムコと逃げて最後にスプリントで破っている。ベルギーに来て初戦のことだ。

総合優勝はレムコだが、ビニヤム・ギルマイは総合3位で初海外遠征を終えている。

その後の2019ラ・トロピカル・アミサ・ボンゴで、ギルマイはアンドレ・グライペルをスプリントで破っている。これを見てベルナール・イノーは彼を「サイクリングの大きなアフリカの希望」と呼んだ。

すでに予言していた訳だ。

 

Intermarché – Wanty – Gobert Matériauxの悲願

 

2020年には、NIPPO DELKO One Provenceでプロデビュー。翌年DELKOの解散に伴い8月6日にIntermarché – Wanty – Gobert Matériauxに移籍。

2021年に他のエリトリア人やアフリカ人のライダーとトスカーナに住んでいたが、最近アドリア海沿岸近くのサンマリノのマイクロステートに移り、スポーツスターの収入に対する税金をわずか7%に引き下げている。

2021Classic Grand Besançon Doubs (1.1)で優勝。そして、2021世界選手権U23で2位となり一躍脚光を浴びる。

 

ヘント〜ウェヴェルヘムはIntermarché – Wanty – Gobert Matériauxにとって忘れられないレースでもある。

2016年3月27日、アントワーヌ・デモティエはオートバイと衝突した後、ヘント〜ウェヴェルヘムで命を落としている。

その悲劇的な日のアントワーヌ・デモティエのジャージ番号(192)は、ヘント〜ウェヴェルヘムではもう着用されていない。

何年もの間、チームのバイクとサポートカーには「私たちはアントワーヌに乗る」と書かれている。

ギルマイが、6年後の同じ日に、同じレースで勝利した。

これは、Intermarché – Wanty – Gobert Matériauxの歴史の中で、最も記憶に残る勝利で、非常に象徴的な価値がある。

 

E3では試走もしていない

 

ヘント〜ウェヴェルヘムの前に、E3 サクソバンククラシックで5位となっているが、チームはギニアム・ギルマイにレースで石畳があることも知らせてなかったと言う。

当然、試走もしていない。それなのに5位に入るのだから凄い適応能力だ。

ヘント〜ウェヴェルヘムも、金曜日に急に出場が決まっている。更に、2度目の石畳のレースで優勝してしまうのだから、フランダースツアーも期待されるのは当然だ。

 

だが、ギニアム・ギルマイはエリトリアに帰国する。昨年生まれたばかりの娘と妻に会うことは、かなり前から決まっていた。

ベルギーに家族を呼べば良いではないかと思うけど、エリトリアは自由な民主主義ではない。独裁国家であり、トップアスリートでも国から3か月後に母国に戻ることを義務付けられている。

ギルマイは、家族をシーズン後半にはサンマリノに呼ぶことを試みる。上手くいけば通年、ギニアム・ギルマイの走る姿が見れることになる。

今後、このアフリカの若者がクラシックで活躍するのは間違いない。まずは、ジロ・デ・イタリアで素晴らしい走りを期待しておこう。

アフリカの自転車選手として歴史に名を刻む走りを将来に渡って見せてくれることになる。

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