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「海峡のサメ」ヴィンチェンツォ・ニバリのプロフィール

https://www.cyclist.co.uk/in-depth/5872/swimming-with-the-sharks-vincenzo-nibali-profile 海外情報
Photography Chris Blott
この記事は約12分で読めます。

Vincenzo Nibaliが4つのGrand Toursを獲得し、 ‘Shark of Messina’として世界中で知られるようになるずっと前に、彼の父Salvatoreは弓のこで半分に彼の自転車をスライスしました。

「それは本当の話だ」とイタリア人は自慢している。

私の学校での成績は良くなかったんだ。父はこう言ったんだ。

「お前がルールを守らないなら、自転車を半分にするからな!」

「私はまさか本当にするとは思ってなかったんだ。学校から悪い知らせきが来た時に、父は私の自転車を本当に真っ二つにしたんだ」

二つにされたバイクは中古のピナレロでした。

 

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メッシーナでの少年時代

ニバリは神聖な地であるシチリア島メッシーナ出身。

「1か月後、私の学校の成績は急速に良くなったんだ」とニバリは認めます。

彼の父親は激しい気性のために ‘Lupo’(ウルフ)と愛称で呼ばれた。父は息子の自転車を溶接して乗れるようにしました。 この事件は若いニバリに勤勉、誇りと献身の価値を教えました。それは彼が50以上のプロの勝利に駆り立てた資質となるのです。

ニバリは、3つのGrand Toursの総合優勝を獲得した、歴史上わずか7人のサイクリストのうちの1人です。

彼は自分の古い写真を持っています。彼の自転車が母親のGiovannaの車に取り付けられたロープでエトナ山の火山の斜面をけん引されている10歳の時の写真です。

「私はサイクリングが好きだった父と、メッシーナからエトナの頂上までのアマチュアのグループで走ってたんだ。

こんな長い登り坂を走ったのは初めてでした。 エトナ山を25キロ登り、頂上近くで、さすがに疲労困憊。それで車からロープだして自転車を引っ張ったんだ。私は若かったけれど強くはなかった。」

スパルタだったんですね。

ニバリは、彼のキャリアの成功を、シチリア島で育った経験があったからと思っています。

https://twitter.com/vincenzonibali/

彼の2016年の自伝の称号は「激情と忠誠」です。 「レース中は常に欲望と厳しい精神を必要とする。激怒するだけでなく、良い戦術だけでもなくハートも必要だ」と彼は言う。

「私はここまで一人でトップにたどり着いた訳ではなく、忠誠心、家族、チームメイトと友人が私の成功を助けてくれたんだ。」

 

レーシングスピリット

https://twitter.com/vincenzonibali

34歳の彼は、妻のRacheleと娘のEmmaとスイスのルガノに住んでいます。リパリとはバーレーン  メリダチームを後援しているロンドンのWorld Travel Marketでインタービューしました。

「バーレーンを訪問するとき、私はフォーミュラ1トラックでゴーカートをするのが大好きです。とても楽しいんだ。」と言います。

「自分のバイクでもF1サーキットを走ったけどゴーカートは最高だね。」

ニバリのカーレースへの情熱(彼はトスカーナのムジェロサーキットでポルシェ911も走らせている)は熱狂的です。

今日のバーレーンへの旅行でもスタンドにドライビングシミュレータがあって、彼は夢中になってしまい長い間乗っていて、インタービューが中々出来ないでいました。

ジーンズとスマートブルーのジャケットを着て、Nibaliは恥ずかしがり屋の落ち着いた雰囲気を醸し出していますが、彼のバイクでの走りは動物的本能と勇気によって研がれた、素晴らしいく情熱的なライダーです。

サイクリングに対する彼の情熱は、パーツに対するこっけいなこだわりから始まりました。

子供の頃、彼は新しいハンドルバーを常に考えていて、サドルポジションを微調整していました。 父親は彼に新しい自転車部品の見返りに家事をやらせる人でした。

パーツを買う為にサイクリング大会の写真を撮るアルバイトもしたことがあります。

「最初は自転車の整備が好きだったんだ。プロの整備士と同様に、自転車を分解してすべての部品を取り外し、それらを元に戻すことができるライダーの1人だと思うよ。」

この魅力を彼は今も持ち続けている。

プロサイクリングにどのような変化をもたらすのが良いか尋ねてみると

「1つ変えることができるならば、タイムトライアルの自転車デザインのルールを緩和するね。

今のルールは良くない。Chris Boardmanは何でも良いものは使う最後のライダーだったけど、自分もすべて新しい技術を使用したいと思うね。」

技術に対するニバリの幼年期の情熱はすぐにレースへの飢餓に変わった。

「他のスポーツは好きじゃなかったんだ。サイクリングは探索出来るし自由があるだろ。

9歳の時に買って貰った中古のピナレロは軽くてもっと自転車が好きになったんだ。

少年時代には、あまり多くのレースがなかったので、私はメシナ(北海岸)からシラキュース(南)まで何百キロも走らなければいけなかったんだ。

車の中にはいつも沢山の荷物があったね。弟と両親がいつも一緒だった。」

https://cyclist.sanspo.com/367168

弟のアントニオと Photo: Naoi HIRASAWA

一度だけ、自転車をやめたいと思ったこともあったと。一人で練習しているのがつまらなかったからだと。

そんな時、父親は近所の若者を集めてくれて一緒に走らせてくれたそうです。それも良い思い出となっています。

 

グランドマスター

16歳のニバリは、シチリアから1000キロも離れたトスカーナに移りました。彼の地元にはレースもチームもなかったので本土に移るしかなかったのです。

レースの成績がよかったので、2001年にトスカーナにあるGSマストロマルコというチームの監督、フランチェスコ・カルリの目に止まり、私の成長を信じて、トスカーナに来ないかと誘って貰ったのです。

両親は反対しなかったので、高校生でしたが行くことを決心しました。 最初の1年間はとてもつらかったです。

チームが用意してくれた合宿場に住んでいましたが、毎日学校のあるエンポリ市まで1時間をかけてバスで通い、帰ったらすぐに練習を始め、晩御飯を食べたらすぐに寝る生活。

卒業をするのに、夜間高校も通いました。2年目はカルリ監督の家で住むことになり、まるで自分の息子のように接してくれ精神的にも支えてくれました。

私のためにアンダー23のチームも作ってくれました。でも、ジュニアイタリアチャンピオンに輝いたのに、U23に上がった途端に勝てなくて。

悔しくてサポートカーで泣いたこともありましたが、監督は「勝つ時はきっと来るよ」と言ってくれました。

様々な人の支えがあって、成長できました。だから今は私自身がGSマストロマルコのスポンサーになっています。

2005年にFasso Bortoloとの最初のブロ契約にサインした後、ニバリは2006年から2012年までリイクガスで走りました。

 

そして2010年にブエルタ・ア・エスパーニャでグランツール初優勝を遂げたのです。

「私は最後から2番目のステージを覚えています。Moladel Mundoの頂上です。 私にはパワーがありましたが、クライマーに勝てるかどうかはわかりませんでした。

https://www.cyclowired.jp/news/node/42428

モスケラに続くニバリphoto:Unipublic

私はライバルから30秒しかアドバンテージがなかった。それで私はエセキエル・モスケラ(全体で2位)の後輪をたどり、これだけに集中したんだ。私はチームから圧力を受けおらず、全力を尽した。そして私にとって最高の勝利がもたらされたのです。」

2013年にはジロ・デ・イタリア初優勝。

https://www.cyclowired.jp/news/node/109211

2013ジロ photo:Riccardo Scanferla

ニバリのツール・ド・フランスの栄光は、彼のレース体重を64kgに、そして体脂肪を6.1%に減らした後、2014年にやって来ました。

それはパスタと干し杏子の軽食によって達成されたハードワークでした。

「私がハードトレーニングキャンプで朝食にパスタを食べている時には誰も私を見ない。」と彼は言います。

 

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ニバリは、高いレベルで、ここ数年でさまざまな財産を経験してきました。

彼は2017年に2度目のGiro di Lombardiaを獲得し、2017年にGiroとVueltaで表彰台を獲得しました。

彼の2018年シーズンは、ポッジョへの単独攻撃とツールドフランスでのクラッシュでリタイア。その後にミラノサンレモを獲得することが出来ました。

「ミラノサンレモに勝ったことは大きな感激でした。」と彼は言います。

「実はソニー・コルブレッリをアシストするチーム戦略だったんだけれどチャンスが来たのでアタックしたんだ。スプリンターが追いつく前にゴール出来たね。」

 

ツール・ド・フランスでは、アルプ・デュエズで見物人のカメラストラップで落車。骨折してしまいました。

彼のチームは、ツアーの主催者であるASOに対する警察のオートバイの存在、ファンの侵入、そして発煙筒からの煙のすべてが混乱の一因となっているとして訴訟を検討しています。

警察のバイクが先導してたのを覚えてい。クリス・フルームをマークしてたんだ。

Tom DumoulinとGeraint Thomasは25メートル後ろだったかな。クラッシュした場所はスペースが狭くて、ファン近すぎたんだ。まあ、よくあることだよね。ファンは旗を振って最後の2秒でそれらを持ち上げるから、とても危険なんだ。」

プロプロトンのライダーが特化した今の時代、ニバリはGrand Toursだけでなくクラッシックへの参加を尊重しています。

「私たちプロライダーが全員これをやれば、ロードレースはもっと観客にとって楽しく、エキサイティングになると思う。」と彼は言う。

「私の哲学はあらゆるレースに勝つことをチャレンジしてみることです。 しかしもちろんこれは私の考え方だから、他のライダーについて語ることはできません。」

ニバリはまた、アタックでレースを活性化することが彼の義務であると考えています。 彼の自伝で、彼はフルームのスタイルを ‘ robotico ‘と表現しました 。

「私の人生は衝動的です。私がレースするときは、本能で走ります。

レース中にアタックするチャンスがあることを理解しています。

レースの前にスポーツディレクターとレースプランについて話し合うけど、レース中に何が起こるかは私次第だね。

私は自分の体の中や、頭の中に自分がアタックできると感じる瞬間が好きです。 本能的なライダーだね。

挑戦以上に楽しいことはないとニバリは言います。

レース前に全てのコーナーを何回も繰り返し体で覚える。敵を惑わすコーナー。注意すべき箇所など。レースの勝因となる全ての要素をニバリは頭の中に入れてます。
相手のペダリングからわかった限界値、グループからの距離など、すべての状況を分析した上で、アタックポイントを決め本能で動いている。
強靭な身体的能力だけでなく、研究によって育んだ鋭い感覚と知識からアタックが繰り出されています。ただ単に本能だけで走っている訳ではないですね。

ニバリは2019年のグランドツアーでの成功をさらに渇望しています。彼はツールドフランスでの限られたタイムトライアルとジロのキラークライミングに魅了されています。

「ジロもツールも魅力のある美しいレースであり、両方走りたいね。それは難しい挑戦だけどね。

さらに先を見たとき、3つの目標があるんだ。世界選手権に勝ちたい!。それと、リエージュ〜バストーニュ〜リエージ、それとオリンピック

でも、私はまだサイクリングの歴史上の人ではないからね。引退したら自分の足跡をたどるかもしれないけれども、今のところ、私はただ勝ちたいのです。」

https://www.cyclist.co.uk/in-depth/5872/swimming-with-the-sharks-vincenzo-nibali-profile

 

「海峡のサメ」というあだ名の由来は?

友達が横断幕を作ったのがきっかけ。たまたまサメを書いただけです。実際に私の故郷のメッシーナではよく出没します。とても小さいサメです。

 

ヴィンチェンツオ・ニーバリについて
身長184cm、体重65kg
1984年11月14日イタリア シチリア島のメッシーナ生まれ。
3歳から自転車を始める。
2000年 GS Mastromarcoチームに加わるために16歳でトスカーナに引っ越す。 2年後、彼はイタリアのジュニアロードレースのタイトルを獲得。

所属チーム
2003−2004年 マストロマルコ
2005年 ファッサ・ボルトロ
2006-2012年 リクイガス
2013-2016年 アスタナ プロチーム
2017年 バーレーン・メリダ

主な成績
2007 GIRO DI TOSCANA(優勝)
2008 GIRO DEL TRENTINO(優勝)
2009 GIRO DELL’APPENNINO
2010 GIRO DI SLOVENIA(優勝)、GIRO D’ITALIA(3位)、VUELTA A ESPANA(優勝)
2011 GIRO D’ITALIA(2位)
2012 TIRRENO-ADRIATICO(優勝)、TOUR DE FRANCE(3位)
2013 TIRRENO-ADRIATICO(優勝)、GIRO D’ITALIA(優勝)、VUELTA A ESPANA (2位)
2014 イタリアナショナルチャンピオン、TOUR DE FRANCE(優勝)
2015 イタリアナショナルチャンピオン、GIRO DI LOMBARDIA(優勝)
2016 GIRO D’ITALIA(優勝)
2017 GIRO D’ITALIA(3位)、VUELTA A ESPANA (2位)、IL LOMBARDIA(優勝)
2018 ミラノ・サンレモ(優勝)
 

コメント

  1. 赤タイム より:

    まだ若手の時代、逃げの最中、ランスアームストロングに面と向かって『おまえも引けよ。やってやんねぇわ』って言えるオトコは違いますね。

    • ちゃん より:

      赤タイムさん、コメントありがとうございます!
      ランスに対してそんなこと言ったんですね。普段は謙虚な人みたいなのですが、自転車に乗ると人が変わるのかも。
      パワーメーター管理の走りに対抗出来る唯一の人なので、本能のアタックに今後も期待です。

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