エリートランナー出身で遅咲きのマイケル・ウッズが今シーズン限りでの引退を表明した。
最後のレースは地元カナダでの2戦となりそうだ。
12年のキャリア
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マイケル・ウッズは20歳までエリートランナーとして活躍していたが、ケガのために断念。英語で大学の学位を取得し、ランニングシューズ店と銀行の出納係として働いていた。
その後、父親のバイクを借りてレースにも出るようになる。フルタイムで働きながら、レースにも出ていたが、2013年Team Garneau – Quebecorに所属していた時に、ある人物と出会う。
この時、チームのコーチングサービスをしていた、パウロ・サルダーニャ(Paulo Saldanha)は一流の生理学者でもあった。マイケル・ウッズは彼を訪ね、テストを受け、いつくかの記録を破った。
彼は、マイケルに、「マイク、仕事を辞めろ、プロのサイクリストになれるから」と言ったらしい。
その時には、すでに20代後半で、エリートランナーへの道をあきらめており銀行でフルタイムで働いていた。このままではプロライダーになる道筋なんてない。
ここで、シルヴァン・アダムスが登場する。
アダムスとパウロ・サルダーニャは、カナダで有望な選手のための基金を設立することを議論していた。ウッズは、彼らが探していたライダーの一人だった。こうしてマイケル・ウッズは仕事をやめ自転車の世界へと歩み出していく。
2014年アメリカのOptum p/b Kelly Benefit Strategies(のちのRally Cycling)に所属。
そして、2015年にはCannondale-Drapac Pro Cycling Teamでワールドツアーデビューを果たす。すでに30歳だったが、その後の活躍はご存じの通りだ。
2021 ツール・ド・フランスではカナダ人として初めて山岳賞ジャージに袖を通す。ブエルタ・ア・エスパーニャでは3勝をあげ、2023 ツール・ド・フランス第9ステージのピュイ・ド・ドームの登りで勝利。
劇坂に強いというイメージのあるマイケル・ウッズだった。
マイケル・ウッズのコメント
自転車のレースに出るたびに、時速70キロで選手たちの列の中を飛んでいる時がある。100万年前、私たちはサルだったんだと思うことがある。
100年前の人に経験させても、何が起こっているのかわからないだろう。このスポーツはクレイジーだし、動物としての本来の目的からかけ離れたものに変質してしまっているから、前世紀に生まれていない人には理解できないだろう。
レースをするたびに、私はこのスポーツをやっていることに計り知れない幸運を感じる。文字通り何十億という人々が見守る中、フランス中を走り回ることが私の仕事であり、それはクレイジーだ。
私の食卓と屋根を支えているのは、毎年3万~3万5千キロの距離を自転車に乗って地球上のあらゆる場所を走っていることだ。
(途中割愛)
……25歳の時、両親から贈られた1,000ドルの自転車で、何も知らずにこのスポーツを始めたことを考えると、正気の沙汰とは思えない。
私は、”かつて世界最高のランナーの一人だった私が、なぜ世界最高のサイクリストの一人になれないのだろう?”と考えた。
既成概念にとらわれず、僕と契約するチャンスを与えてくれた組織やチームのおかげで、その目標を実現することができた。私は世界最高のサイクリストの一人になることができた。
しかし、よく言われるように、いいものには終わりが来る。私にはまだ大きな野望と、エンデュランス・スポーツの新たな分野を開拓するための計画が残っている。(壮大な計画があるので、期待していてほしい)しかし、今シーズン限りでプロのロード・サイクリング選手から引退する決断をした。
私の人生には、夜ベッドに横になって天井を見つめながら、”私は何をしてしまったのだろう?どこで間違ったのだろう?
そのような状態から今日に至るまで、私は永遠に感謝している。
道端から応援してくれたり、シンプルな励ましのメッセージをくれたり、2016年にオリンピックに出たいと言っても笑わなかった人たちや、私の人生の軌道を変えてくれたパウロとシルヴァンのような2人など、私を助けてくれたすべての人たちに、ありがとうと言いたい。すべてに感謝します。
マイケル・ウッズは、この自転車競技が厳しくなっており、家族を離れて生活することの多さなど様々な問題を具体的に書いている。長くは続けられない生活なのだ。
2020 パリ~ニース第5ステージでは大腿骨骨折をしており、ケガにも泣かされている。
12年の短いキャリアだったけれど、その残した功績は大きい。カナダの偉大なライダーとして名前を残す存在だ。
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