史上最も偉大なサイクリストの一人とされるアメリカ人サイクリスト、グレッグ・レモンの英雄的な実話が映画となる。
グレッグ・レモンにまつわるエピソードはとても多い。どんな映画となるのだろう。
ラストライダー
グレッグ・レモンは、アメリカ人ライダーとして1986年にツール・ド・フランス初優勝を遂げている。
当時のヨーロッパのしきたりに苦労したそうだが、ツール制覇にもチーム内ライバルのベルナール・イノーとの確執があり大変な思いをしている。
1987年4月20日、レモンにとって不幸な事故がカリフォルニアで起きた。狩猟中、同行者の散弾銃の弾がレモンの胸に当たったのだ。
レモンは大量に出血し、生死の淵をさまよった。一命をとりとめ、その後はリハビリに励むものの、都合2回、ツール・ド・フランス出場が不可能となった。
1989ツール・ド・フランスでは、レモンは37もの散弾片を体に残したまま、20位以内を目標とした。
直前のジロ・デ・イタリアでは総合39位と不振、しかし、レースが始まってみると、得意のタイムトライアルで第5ステージ優勝。第15ステージTTで5位。第19ステージ優勝で、最終ステージ前で50秒差に。
最後の個人タイムトライヤルで、レモンは当時最新のエアロバーバイクでタイムトライアルに臨み、ローラン・フィニョンを8秒差で逆転。2度目のツール・ド・フランス制覇をあげている。
同年の世界タイトルを獲得し、レモンは翌1990年にもツール3度目の制覇をあげている。
映画では、彼の狩猟事故と、1989年のツール優勝を果たした復帰に焦点を当てているが、彼のキャリア全体が取り上げられている。
「私が自転車競技を始めた頃、アメリカ人はヨーロッパ人に太刀打ちできなかった。なんてことだ、これは私の夢だったんだ、という感じだった。
勝者に黄色いジャージを着せた初めてのアメリカ人となる。それは私が今まで経験した中で最も魔法のような出来事だった。」
グレッグ・レモンは、自身のブランドLeMondを立ち上げていたが、ランス・アームストロングを批判していたことで、2008年から5年間Trekから販売停止の処分も受けていた。
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