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ジャンニ・モスコンが、わずか1年でウルフパックを去る

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Photo credit: dvdbramhall on Visualhunt
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イタリアの怪童、トラクターとも言われるジャンニ・モスコンも30歳。

2025年シーズンは、Soudal – Quick Step在籍1年で、Red Bull-BORA-hansgroheに移籍が発表された。

 

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2025年末までの1年契約

 

ジャンニ・モスコンは、トレンティーノ出身の農家の息子。2016年からTeam SKYに所属。チームには6年間在籍。

6年通算で11勝は、彼の実力からすると少ない。メンバーのレベルが高く、クラシックに強いジャンニ・モスコンでもエースとして走れるチャンスは多くはなかった。

更に問題だったのは度重なる問題行動。2020クールネ〜ブリュッセル〜クールネで落車の腹いせで、人の自転車をぶん投げている。

 

これまでも2017年に黒人選手に対して人種差別的発言をして6週間の停止処分。2017世界選手権で落車のために、カーペーサーを長くして復帰。あとで失格。

2018年には、ツール・ド・フランスで、ライバルチームの選手をレース中に殴り失格処分。

事件のたびに、チームはコンプライアンスの問題でモスコンとの契約を打ち切る話が出ていた。強くても、何をするかわからないのでツール・ド・フランスなどに出場はさせられない。

だが、2021年は、ツール・ド・アルプスで得意の逃げ切りでステージ2勝。

 

さらに2021ジロ・デ・イタリアではエガン・ベルナルのアシストとして献身的に走り、自らも総合24位と存在感を示す。

スイスのワンデイレース2021Axion SWISS Bank Gran Premio Città di Luganoでも優勝。

INEOS Grenadiersでの最後の年となった、2021年秋のパリ〜ルーベでは、ジャンニ・モスコンは独走で地獄の勝利への道を歩んでいるように見えた。

しかし、最後の石畳の区間でパンクし、スリップしたことで、勝利のチャンスは断たれている。2021年は3勝したが、Astana Qazaqstan Teamに移籍となっている。

Astana Qazaqstan Teamでは、期待されながらも2年間勝利はなかった。まず、気管支炎で2022年のデビューが遅れる。

 

さらに、コロナ感染と細菌感染症が発覚。治療によりレース復帰となっている。

 

翌年、2023年もツアー・ダウンアンダーで鎖骨骨折。

 

2023ジロ・デ・イタリア、2023ツール・ド・フランスと連続出場したが、いたのかというほど全く走れていなかった。マーク・カヴェンディシュのアシストをしている姿は良く見られたけれども。

2年間の低迷は大きい。これにはチームの起用法にも問題があった。

 

Soudal – Quick Stepに移籍してからは、完全にアシスト役。Red Bull-BORA-hansgroheではクラシック班の強化と言われているけれど、昔の脚を取り戻すことも必要だ。

 

ジャンニ・モスコンのコメント

Red Bull-BORA-hansgroheに加わり、私のサイクリング・キャリアの新たな章をスタートできることに、とても興奮している。

GMのラルフ・デングに会った瞬間から、私たちが同じ考えを持っていることは明らかだった。 ラルフとチームが僕に対して抱いてくれている信頼が、僕をやる気にさせてくれる。

ベストを尽くす決意がある。これは素晴らしいチャンスだし、早く始めたい。

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