ジロでの失速
こうなっては、ツール・ド・フランスに出場するなどということは出来なくなってしまいチームは計画変更せざるを得なかった。
スケジュール変更
ログリッチのシーズン半ばのスケジュール変更は、大きな意味を持っている。ジロのあとに、十分な休養をとるためにレース出場は控えた。
ジロのあとのレースは、母国スロバキアでの国内チャンピオンシップのみに出場。ここでは4位でレースを終えている。
この後も、ブエルタまでは一切レースに出場せず、ブエルタのタイトル獲得だけに集中した。
チームカレンダーを変更するという決定は、他の影響がない限り実現しないことだったが、ログリッチがツールに出場しないために、ステェファン・クライスヴァイクが出場。
ステェファン・クライスヴァイクは見事に総合3位を獲得する。
この結果も、チームに影響を与える。当初の計画ではジョージ・ベネットがリーダーとしてブエルタに行くことを計画していたからだ。
チームの当初の計画は
- ジロ プリモシュ・ログリッチがエース
- ツール ステェファン・クライスヴァイクがエースでサブがログリッチ
- ブエルタ ジョージ・ベネットがエース ステェファン・クライスヴァイクがサブ
これが見事に変わったしまったということだ。
結局、プリモシュ・ログリッチはステェファン・クライスヴァイクとジョージ・ベネットというアシストを得ることになり、最強の布陣でブエルタにのぞむことになった。
だが、ステェファン・クライスヴァイクは初日のタイムトライヤルで落車。数日後に膝のケガでリタイヤしてしまう。
ログリッチの好調ぶりは、チームで明らかになりジョージ・ベネットはツールと同じようにアシストに回ることになった。
トニー・マルティンが平地をひいてくれ、第15ステージで優勝したセップ・クスが山岳でリード。
ジロでは、なかった平地と山岳の両方で手厚いサポートが得られることとなった。
これによりレースを支配できるようになったログリッチは第10ステージの個人タイムトライヤルで総合トップに立つ。
山岳でも手厚いサポートを受け、ライバルのアタックをことごとくつぶしていく。残る山岳ステージは2ステージしかない。
体調不良や、落車などの影響がなければマイヨロホは安泰なのではないだろうか?
シーズンの当初には、計画に入っていなかったレースで、この結果は悪くない。
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