ツール・ド・フランスで総合3位となったリッチー・ポートはTrekからイネオスへの移籍を発表。
リッチー・ポートにとっては、これはキャリアの最後を飾るための夢であったと語っている。
イネオスでキャリアの終焉を
リッチー・ポートは2012年Saxo Bank – Sungardからチームスカイに移籍。3年間グランツールでアシストを務め総合優勝に貢献。
2016年BMC Racing Teamに移籍し、自ら総合優勝を求めてリーダーとしてチームを引っ張る。
2016ツールでは総合5位となるが、2017ツールでは第9ステージで落車してしまいリタイヤ。翌年のツールもリタイヤと2年連続してツールには縁がなかった。
BMCチームの解散に伴い、2019年Trek-Segafredo に2年契約で移籍。そして、35歳となりキャリアの終焉を迎える時に、再びイネオスに帰ってくることになる。
チームを選択するに当たって、フルームの移籍するIsrael Start-Up Nationから高額なオファーの打診を受けていたことも明かにした。
私が去ったとき、デイブブレイルズフォード・ブレイスフォードがスピーチをしたのを覚えている。
「リッチーが戻ってきたいのなら、ドアはいつも開いている」と。
だから私が去ったとき、チームから祝福を持って去ることが出来た。外に出て他のチームを体験し、自分で少し乗る必要があった。
そこに戻ってキャリアを終えることがいつも私の夢だったと思う。それはいつも私の心の奥底にあったんだ。
自分のキャリアの終焉は、このチームだと決めていたということだ。
だが、チームは以前とはメンバーもスタッフも変わっている。フルームは去り、昔の仲間はゲラント・トーマスやルーク・ロウだけ。
チームのスポーツディレクターだった、ニコラス・ポータルもいない。
ダイナミクスを知っているチームに行きたかっただけだ。そうすれば、本当にすぐに走り出すことができる。
来年ツアー・ダウンアンダーに出場した場合、私たちはそこに行ってレースに勝つことにチャレンジできる。
それが過去2年間に本当に望んでいることだった。
イネオスならば、十分なアシストを受けてツアー・ダウンアンダーの連覇も可能だ。
守られた状態でウランガヒルでアタックをかければ優勝の可能性は高い。仮に、Israel Start-Up Nationに移籍していたら、優勝は難しかっただろう。
キャリアの最後に、新たなチームで一から始める時間はないこともあったはずだ。
ツールで満足いく走り
ツールで表彰台に上がった今も、とても満足している。私は実際にやろうとしていることをやりとげた。
それは常に私の大きな目標だった。それを達成するために、はるかに落ち着いてリラックスし、そのような役割に移行する準備ができている。
リッチー・ポートは、過去に落車で満足のいく成績が残せていなかった。だが、今回のツールで過去最高の3位となり十分やり遂げたと感じている。
今度は、自分よりも若いライダーをアシストする準備と心構えがあるということだ。来年のイネオスは強力な移籍組を加えて、再び、輝けるチームとして復活するだろう。
リッチー・ポートとしては、最初のツアー・ダウンアンダーで総合優勝出来れば、満足してその後のグランツールもアシストに徹することが出来るはずだ。
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