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なんと INEOS Grenadiersのポケットロケットことカレブ・ユアンから悲しいお知らせ

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Photo credit: babbo1957 on VisualHunt
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これは本当に悲しいお知らせだ。

 Team Jayco AlUlaの公式サイトから急に名前が消えたカレブ・ユアン。

 

契約がなくなり、INEOS Grenadiersで1月23日に電撃的に復活したカレブ・ユアンがSNSで即時引退を発表した。

 

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ポケットロケット カレブ・ユアン

 

カレブ・ユアンは、2014年にOrica GreenEDGでプロデビュー。2015年にブエルタ・ア・エスパーニャで勝利。

2019年にMitchelton-ScottからLotto Dstnyに移籍して以来、2019ツール・ド・フランスでは3勝をあげ、最終シャンゼリゼでも勝利。さらに翌年2020ツール・ド・フランスでも2勝。

ジロ・デ・イタリアでも5勝しており、全てのグランドツアーで勝利を上げているスプリンターだ。

だが、2022年から不運は続く。転倒が多くあり、惜しい2位は何度もあった。

結局2023年シーズンはファン・メルクシュタイン・フェンスクラシックの1勝のみ。

 

2023年末でLotto Dstnyとは契約解除。チーム上層部との確執は大きかった。2024年はTeam Jayco AlUlaに移籍し、開幕のオーストラリア選手権クリテリウムで勝利。

 

ツアー・オブ・オマーン第1ステージで勝利。

 

ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンで2勝目。

 

ブエルタ・ア・ブルゴス第2ステージの登りスプリントでも勝利、2024年の3勝目をあげる。

 

だが、かってパリのシャンゼリゼで勝利した2019年の強さは影を潜めていた。Team Jayco AlUlaとは、折り合いがつかず2025年が始まってもレース出場もなかった。

ここで INEOS Grenadiersと1月23日に契約。初戦のコッピ・エ・バルタリ第1ステージで勝利。

 

続く、イツリア・バスクカントリー第2ステージで今シーズンの2勝目をあげた。翌日からはスプリンターステージがないので、レースをスタートしなかった。

 

 

4月8日のワールドツアーでの勝利がキャリア最後のレースとなってしまった。もう、カレブ・ユアンの低い姿勢から繰り出されるロケットスプリントが見られないのは非常に残念。

以下のカレブ・ユアンのコメントでは苦労した数年が心に打撃を与えていたのがわかる。勝利での喜びも以前と違えば、走るモチベーションもなくなるのもわかるような気がする。

30歳の若さながら引退とは早すぎるが、家族との時間を大切にして貰いたい。

 

カレブ・ユアンのコメント

 

いろいろと考えた結果、ただちにプロのサイクリング選手から引退することにした。 このスポーツは私の人生の大きな部分を占め、私の道を形成し、永遠に持ち続ける経験を提供してくれた。

11年間のキャリアの中で、私は想像以上のことを成し遂げてきた。 個人的なマイルストーンから仕事上の達成に至るまで、その道のりはかつて私が抱いていたあらゆる期待を上回るものであり、私の人生を形作ってくれた機会、挑戦、成長に深く感謝している。

物心ついたときから、私の世界はレースを中心に回っていた。 激しいルーティン、犠牲、絶え間ない向上心、勝利への渇望……それが私のリズムであり、アイデンティティだった。 しかし、かつては私のすべてだと感じていたものが、今はそうではなくなった。

ここ数年は簡単ではなかったが、2025年、私は再び何かを見つけた–脚だけでなく、信念も– INEOS Grenadiersのおかげだ。 彼らは私にスペースと信頼、そして自分の能力を再発見する環境を与えてくれた。 私はまた勝った。 私は再び自分自身を取り戻し、再び尊敬されていると感じた。 彼らには感謝してもしきれない。

しかし実際は、たとえ私が最初にゴールラインを越えたとしても、何年も追い求めたあの感覚は、以前よりも早く色あせてしまった。

過去2シーズン、特に2024年後半の経験は、私とこのスポーツとの関係に大きなダメージを与えた。 あの時期が私のキャリアの終わりを決定づけるものでなかったことをうれしく思うし、 INEOS Grenadiersで短いながらも成功を収めたことを誇りに思う。

私を支え、挑戦し、信じてくれた多くの人々に感謝したい: ジョン・アラート、スコット・ドロワー、メフディ・コルディ、パディ・ハリソン、そして INEOS Grenadiersのみんなだ。

君たちのおかげで、最後の1章を思い通りに書くことができた。 私の希望通りに、誇りをもって立ち去る手助けをしてくれた。 チームは間違いなく正しい道を歩んでいて、エキサイティングな未来が待っている。

以前所属していたチームのチームメイトやスタッフ、特に僕と一緒に働いていた仲間たち。 自転車競技の大舞台で勝利するという夢を、共に実現した。 その思い出と友情は永遠に私の心に残るだろう。

母国へ-グリーンとゴールドのユニフォームを身にまとうことは、私のキャリアにおいて最高の栄誉のひとつだ。 オーストラリアを代表することは、私にとって常に特別な意味を持つ。

世界のどこでレースをしていても、母国からの応援を感じていた。 ファン、家族、そして私の旅路を見守ってくれたすべての人からの励ましは、言葉にできないほどの意味があった。

長期マネージャーのジェイソン、予想をはるかに超えた無私のサポートに感謝する。 私への献身は、言葉で言い表せないほどの意味がある。

両親へ-この夢を追いかけるために与えてくれたものすべてに感謝します。 早朝や長時間のドライブから、私がレースに出られるように犠牲にしてくれたことまで、あなた方のサポートがなければ、私はここまで来ることはできなかったでしょう。 誰よりも先に私を信じてくれた、その土台に私はいつも感謝している。

そして最後に、妻と子供たちへ-この感情のジェットコースターのあらゆる部分に一緒に乗ってくれてありがとう。 最高の高揚感も、最も厳しいどん底も、あなたはいつもそばにいて、私を励まし、元気づけ、本当に大切なものを思い出させてくれた。

この旅は私だけのものではなく、私たちのものだった。 あなた方の愛、忍耐、信念は、たとえ困難な状況にあったとしても、決して揺らぐことはなかった。 あなたがいなかったら、私は何もできなかった。

ありがとう。

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