ドイツのヤン・ウルリッヒは、ランス・アームストロングのライバルとしてツール・ド・フランス優勝1回。ツール総合2位を5回記録。
世界選手権TTでも2度優勝。シドニーオリンピック金メダルなど数々の輝かしい歴史を持っている。だが、ドーピングにより2007年に引退している。
その後、彼の人生は転落の一途をたどる。
2018年には、飲酒運転の容疑と身体的暴行により逮捕。精神病院に入院。その時に、ランス・アームストロングはウルリッヒを訪ね、かってのライバルを励ましている。
現在は回復に
Means the world to be riding in Mallorca with @JanUllrich5 and getting my ass kicked on the bike by him. Who says great rivals can’t be friends?!
📷: @LizKreutz pic.twitter.com/viSKacTWJQ— Lance Armstrong (@lancearmstrong) September 26, 2021
ランス・アームストロングとヤン・ウルリッヒはキャリアのピーク時に激しいライバルとしてツールで争った。
だが、ウルリッヒがアルコール依存症で苦しんでいる時に、ドイツに旅行しランスはウルリッヒを助けた。彼は徐々に回復し、その時のことを話すことが出来るようになっている。
上の写真では、ランス、ウルリッヒ、ジョージ・ヒンカビーと共にサイクリングをするほどまでに回復している。
ヤン・ウルリッヒはランスのボットキャストで以下のように語っている。
3年前、大きな問題を抱えていた時に、ランスが私に会いに来てくれた。あなたが来てくれてとてもうれしかった。そうです、私はマルコ・パンターニのようでした…ほとんど死んでいた。
そして私は回復し、あなたを含む良い友達ができた。彼らは私を生き返らせた。今、私はとても幸せです。
私が覚えているのは、20年前または15年前だけだ。それから私は自分にとって何が良いかを忘れてしまう。サイクリングはとても良い。友人との付き合い。愛。私の子供たち、私の家族。このすべてを、私は忘れていた。それが私の問題だった…。
神は私にこの体を与え、神は私にこの才能を与えてくれた。私は何もないか、完全なガスです。私は毎日トレーニングしている。私は水を飲む。
私は3年前にアルコールと麻薬をやめた。とても健康に暮らしており、ガールフレンドは私のためにとても健康的な料理をしている。そして、これがすべて一緒になって、私は非常に良い形と良い感じになる。
私には良い友達と良いチームが家にいる。私は一人ではない、そしてそれは重要だ。私は助けが必要だった、そして今私は助けがある。
少しずつだが、人として回復している。ウルリッヒとアームストロングはキャリアの終盤でドーピングスキャンダルに巻き込まれ、公に恥をかいている。
今でも、暗い歴史としてサイクリング界に影を落としているが、本人達も苦しんでいることも話している。
コメント
サイクルロードレースファンとしては初心者です。オプラ・ウィンフリーのインタビューでランス・アームストロングが告白した2013年に日本ではどう報じられたが分からないので、勉強のために『偽りのサイクル』と『シークレット・レース』を読み、『疑惑のチャンピオン』のDVDも見ました。その結果として、あなたが書いた”少しずつだが、人として回復…” とか ”本人達も苦しんでいる…” などと言って済ませて良いとはとても思いません。
タイラー・ハミルトンは『シークレット・レース』の中でこう書いています。
『僕は手を伸ばして、”ドーパーは最低”のジャージを着た男の手をとり、握手をした。僕はにっこりと微笑んだ。「やあ。僕は昔、ドーパーだった」僕は言った。「だけど、最低じゃない。じゃあ、楽しい走りを」』
そうです。ランスが”最低”だったのは、”ドーピング”だけではなく、仲間のケビン・リビングストンやフランキー・アンドリューやタイラーを裏切って切り捨て、廻り中に嘘をつきまくって、(一瞬でも)巨万の富を得た”インチキ野郎”だったからです。まだ10年もたっていないのに復権みたいな形になるのだけはまずいですよね。
そうですね。彼らがサイクリング界に及ぼした害はあまりも大きかった。米国ではプロサイクリングチームが激減。ドイツでも、
自転車は人気スポーツから転落してしまったのだから。
多くのスポンサーが離れ、ファンも遠ざかりイメージが失墜したのは明らかです。
私はそうは思いません。「シークレット・レース」や「ランス・アームストロングの真実」を始め、当時の裁判の事が書いてる本は相当読み、確かにハミルトンに対するランスの仕打ち、それ以上にランディスに対するランスの態度などは大いに疑問です。
しかしランスが大金持ちになる資格がなかったかと言えば、あったと思います。
当時の証言などで、ランスがかなりドーピングを上手く利用していたのは確かでしょう。
それでも、ランスが当時最強のサイクリストであったことは間違いないはずです。
ランスはドーピングを利用して相対的に能力を上昇させてツールを連覇したのではないでしょう。
仮に全員がドーピングを全くしていなかったとしても、ツールを連覇しても全くおかしくない能力を持っていたと思います。
もちろんサイコロを振り直せば違う目が出るように、七連覇できたかと言われると分かりませんが。
それというのも、ランスとUSポスタルがやってきたことは、ドーピング以外にも先進的で合理的であり、明らかに1998年以前のツールとランス以降(恐らく2001年以降)は全く違います。
USポスタルが(おおむね)完全にプロトンをコントロールし、全てのアタックを封じ、ランスの個人勝負に持ち込んで勝っています。
そのライバルのウルリッヒも、確かに薬漬けで会ったのは確かでしょう。しかし、それなら同様に当時のサイクリスト全員を断罪しなければなりませんね。
そうなると、当時のサイクルスポーツ全般、EPOや血液ドーピングについていっても、グラン・ツールをはじめとするアップダウンのあるレース全般が無価値というわけでしょうか。
私は、1999年からのツールがドーピング漬だから価値がないとは思いません。たまに観直してもやはり素晴らしいドラマがあると思います。
その当時からのファンではありませんので、思い出補正というわけでもありません。
ファンも遠ざかったというのは確かでしょうが、全員ではないでしょう。
遠ざかった一部のファンがいるからといっても、ランスのせいではないでしょう。
脱ドーピングの流れは必然で、ランスがいなくても、自転車スポーツはドーピングがあんなにもはびこっていたのが発覚した時点で人気は一度は失墜していたはずです。
ランスについては、それだけの価値があるサイクリストであり、ウルリッヒも当然ながらそうです。時代の被害者としかいえません。
ドーピングをしていたメルクスがもしもランスの時代に生きていたら、同じ様な目にあったんじゃないでしょうか?
ランスがドーピングを否認し続けたのも、プロトンが否認し続けていたから当然じゃないですか?ムラを守らずにさっさと、というのも人間としてどうなんでしょうかね。UCIも当初はうやむやにしたがっていたようですし。
残念ながら、ドーピングに対する世間の風やWADAなどの態度がランスの予想に反して強硬になったのが不運だったと言えると思います。
もっとも、アンチ・ドーピングの意味からも、当時の記録が見せしめに剥奪されるのは仕方ないんでしょうね。
ただ、それならウルリッヒの1997年やパンターニの1998年なども剥奪すべきだと思いますけどね。
スピアさん、長文のコメントありがとうございます。
ランスの場合、睾丸癌で危険な状態だったのは間違いない事実で、癌からの復帰を考えると通常では考えられない。
スピアさんの言われる通り、ドーピングなどしなくても勝てていたでしょう。
トレーニング量も、他の選手と練習した後に更に走ってましたし、1時間しか時間が取れなければ意味がないので、走らなかったとも。
現在、ドーピング検査が厳しくなり、クリーンになったのも過去のスボンサー離れなど、経験しているからでしょう。