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2015ジロ・デ・イタリア6位のTeam SKYライダーの行方不明の謎

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2018年のティレノ・アドリアティコの最後から2番目のステージは、レオポルド・ケニッグのキャリア最後のレースだったかもしれない。

どうして、こうなってしまったんだろう。2014年にはツール・ド・フランス総合7位。

チームスカイに在籍していた2015年。彼はジロ・デ・イタリア総合6位。その年のツール・ド・フランスではクリス・フルームをアシストした。

そんな彼は、今誰とも連絡が取れず引退となったのかもわからない。

レオポルド・ケニッグは一体どうしているのだろうか?
 
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輝かしかった経歴が何故?

Photo Leopold König instagram 以下同様

レオポルド・ケニッグは、17歳の時にはCourse de la Paix Juniors (2.HC)でステージ初勝利をあげている。

2008年にはPSK Whirlpool-Author でブロデビュー。2011年からTeam Netapp に在籍し、2013年のブエルタ・ア・エスバーニャでステージ優勝と共に総合9位でゴールを飾った。

そして、2014年にはプロコンチネンタルチームに在籍しながらツール・ド・フランスでは総合7位という素晴らしい成績を収める。

この成績をもって2015年にはチームスカイに移籍。ジロ・デ・イタリアで総合6位となり期待にこたえた。

 

2016年ブエルタ・ア・エスバーニャ

そして2016年のブエルタ・ア・エスバーニャ。フルームが2位となった年だ。レオポルド・ケニッグは第14ステージまで総合5位。フルームと共に表彰台の可能性もあったほどだったが、最後は29位で終わっている。

彼がチームスカイでセカンドシーズンで輝けなかった理由。それは、彼を襲う持続的な膝の故障だった。これにより彼のスカイでの生活は、2年で終わってしまう。

 

BORA – hansgrohe との3年契約

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2017年レオポルド・ケニッグは、膝の故障をかかえながらも、BORA – hansgroheと3年という長期契約を結ぶ。

チームスカイでは、初年度に80万ユーロ(約9700万円)、2年度は100万ユーロの給料を貰っていたとされている。

当然、BORA – hansgroheとしては総合を狙えるライダーとして期待があったので3年という長期契約となったに違いない。

だが、2017年1月のTrofeo Andratx-Mirador des Colomer (1.1)をリタイヤした彼は、6月まで走っていない。この年はジロもブエルタも出れず20レース。

2017年オフ、レオポルド・ケニッグは楽観的に2018年はジロとブエルタを走ると宣言。健康状態は良好になったかと思われた。

だが、契約2年目の2018年Tirreno-Adriatico (2.UWT)第6ステージではスタートすることが出来なかった。この時には膝と背中に問題があったとされている。

この後、チームはドアを開けたままにしていたが、レオポルド・ケニッグからの連絡はない。チームは彼が走れる状態になればいつでも迎え入れるはずだった。

2019年シーズン、彼はレースにもチームの会合にも一切顔を見せていない。2019年にギャラが支払われていたかどうかはチームは報じていない。

 

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彼は、メディア、一般大衆、チーム、全てと連絡を絶っている。インスタグラムもツイッターも2018年3月から更新が止まったままだ。

ケニッグは、かつてソーシャルメディアで多岐に渡り、自身のキャリアと同様にチェコ共和国の政治的および社会的問題についてコメントしていた。

たとえば、彼はポピュリストのミロス・ゼマン大統領に対して批判的であり、2018年初頭の若者たちに大統領選挙で投票するよう奨励したり政治的な意見も出していたほどだ。

健康状態さえよければ、彼の未来は素晴らしいものが待っていただろう。それこそチェコの歴史に残るライダーとなっていたに違いない。

もしかしたら今もイネオスでリーダーの一人となっていたかもしれないのだ。

結局、レオポルド・ケニッグは引退かどうかもわからず、ファンファーレも言葉もなしに去ることになってしまった。

彼が数日前に祝った32歳の誕生日の直後に。

 

コメント

  1. あかね より:

    フルームのブエルタ優勝は2017ですよ

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