まさかの結末だ。
だれもが、スプリントで決着がつくと思っていたスプリンターステージで逃げ切りが成功してしまうなんて。
ドリース・デポンド(Alpecin-Fenix)は、2020年10月にベルギー選手権で優勝して以来の勝利となった。
彼には、知られざる過去がある。そして、ファンを大切にする理由も。
ファンを大切にする理由
普段は、マチュー・ファンデルプール、ジャスパー・フィリップセン、ティム・メルリエのアシストとして活躍しているドリース・デポンド。
昨年のジロでは、何度も逃げに乗っていた。
「私は大きな勝者ではない。私は集団の中で常に働いている一人だ。
でも、僕が何度も何度もブレイクタイムに突入していくのをファンが見て、僕がこのまま頑張るんだと思い、それが勝利につながれば、粘り強さが成功のカギになるんだと見てくれる。
何度苦しんでも、うまくいかなくても、自分を信じてやり続けることが大切だと思う。挑戦し続ければ、いずれはうまくいくのだから。」
デボンドは、ゴール地点の先にある小さなトラックで、ステージ後の記者会見に時間をかけて臨んだ。
表彰台、アンチ・ドーピング、テレビインタビューなど、ステージ優勝者なら誰でも経験することだが、彼は、見に来てくれたファンのためにも、その場にいることを選択した。
彼は、記者会見に到着するまでの間、ファンにサインをしたり、一緒にセルフィーを撮ったりして過ごし、その後もそれを続けていた。
デボンドにとって、これはプロのバイクライダーとして非常に重要なことである。これを行うには意味があるのだ。
キャリアを失う事故
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ドリース・デポンドは、2014年、リアタイヤがブローして飛ばされた際に高速で民家の壁に衝突し、レーシングキャリアの夢を奪われそうになったことがある。
この事故により、頭蓋骨の底部に2つの骨折を負い、脳が腫れ上がった。2週間昏睡状態に陥り、医師は完全な回復を期待していなかったと言う。
「自分は夢を持って生きているし、それを自覚している。プロサイクリストになる前に一度は夢が粉々に砕け散りそうになったが、その後プロになったことで、これがなんと美しいフルジョブなのかと実感した。
2016年にプロとして初めてのレース、ハル〜インホーイヘムのホームで優勝したときのことだ。
私のストーリーやどこから来たのかも知っている人たちからたくさんのメッセージをもらい、人々のインスピレーションになるとはどういうことか、ファンの人たちにも感じてもらえたと思う。
彼らにとって、僕たちはインスピレーションであり、僕はただそれを本当に光栄に思っているんだ。
だから僕たちは彼らのお手本だと思うし、そう振る舞って、自分が他の人たちのインスピレーションになれることを誇りに思わなければならない。それができることは素晴らしいことだからだ。」
これが彼がファンを大切する理由だ。
全員を驚かせる
数日間にわたる激しい逃げ切り合戦と比べると、4人は割りと簡単に逃げに乗れた。
後続の集団ははるかに強力で、スプリントチームも1週間の山岳レースの後にもう一度チャンスを求めていた。そのため、残り数キロで簡単に巻き返し、追いつくことができるはずだった。
しかし、残り5キロで30秒の差をつけられた時点で、4人のトップが優勝を争うことは明らかだった。
これは偶然ではなく、逃げ集団のメンバー全員が綿密に練った戦略だった。
「このような日は、計画的に過ごさなければならない。簡単な仕事ではないんだ。なぜなら、このような日には、3つのチームがスプリントに進出することを望んでいたからだ。
しかし、スプリントチームから見れば、我々はコントロールしやすい4人のグループであることも分かっていた。だから、終盤に激しく加速できるように、ゆっくり走り始めたんだ。
1分以内の差に戻したところで、またしてもカードがなくなってしまった。しかし、スプリンターチームが我々を捉えることはないだろうということは分かっていた。
なぜなら、そうなればレースは一からやり直しだし、もしかしたらコントロールするのがはるかに難しい集団が離れていってしまうかもしれないからだ。
そして再び差を広げ、あまりエネルギーを使わずに、残り50kmの急な上りにたどり着いた。
計画では、頂上で2、3分の差をつけるつもりだった。そして、何も考えずにゴールするつもりだった。
4人で話し合ったんだけど、みんな約束を守ってくれたし、今日の逃げの仲間のそういうところは本当に尊敬するよ。
誰もターンをサボることなく、それが今日のゴールまでたどり着けた唯一の理由だと思う。」
逃げのスペシャリストが揃っていたのも良かった。上手く、連携して後半ペースアップ。見事な逃げ切りだ。
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