ミラノ~サンレモで復帰したマチュー・ファンデルプールは、パリ~ルーベの最有力の優勝候補だった。
これについては、誰も疑いようがなかっただろう。
だが、結果的には表彰台にも立てず9位という順位。いつものならば自分から攻撃を仕掛けるマチュー・ファンデルプールだったが、その攻撃性も見られなかった。
マチュー・ファンデルプールはゴール後に先頭を追えなかった理由について語っている。
9位という結果について
マチュー・ファンデルプールが腰と背中の問題から復帰してからの成績は
- ミラノ~サンレモ 4位
- コッピ・バルタリ 第4ステージ 優勝
- ドワルス・ドール・フラーンデレン 優勝
- ロンド・ファン・フラーンデレン 優勝
- アムステルゴールドレース 4位
これだけの成績をおさめてパリ~ルーベにのぞめば、誰もが優勝を疑わないのは当然だ。
マチュー・ファンデルプールは、残り54kmでJumbo-Vismaが加速した時に、12人の追走集団に入った。
それ後、数々のアタックと反撃に対応。しかし、マチュー・ファンデルプールは、決定的な動きを見せない。
結局、表彰台のトリオが逃げ切ったあとに、追走をかけたが追いつくことはなかった。ゴール後に、ヴぇロドロームの芝生の上でマチュー・ファンデルプールはインタビューに答えている。
特別なレースだった。チームは素晴らしい仕事をしたし、本当に強かった。僕はまた大丈夫だったけど、今日は勝つための脚がなかったんだ。少し別のゲームだったね。
レース前半にINEOS Grenadiersが横風で攻撃しましたね。集団は割れてましたが、問題なかったですか?
私たちが戻るかどうかはわからなかったが、本当に慌てることはなかった。
というのも、序盤に集団が分かれたとき、彼らが横風の中でフルアクセルを踏んでいるように感じられなかったから不思議だった。
でも少し遅れて、突然プロトンの半分がいなくなってしまった。
最終的にはチームワークが非常に強かったので良い状況になったが、今日は足がなかった。それとも疲れた春のせいでしたか?
私の春はそれほど長くありませんでした(笑い)。
長引く背中の問題から復帰しましたが、かなり早かったですね。
この春にドライブできたものはすべておまけだった。すでに予想以上に良かった。もちろん、素敵なルーベを期待していたが、バランスをとれば、とても満足できる。
9位は達成可能な場所でしたか?
そう思う。結局、私は本当に空っぽだった。私はまだ戦い続けたが、それは性格上だった。
常に、ベストな体調でレースが迎えられる訳ではない。27歳となったマチュー・ファンデルプールも若さと才能だけでは走れなくなってきているということだ。
この後、マチューはジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスに参戦する。途中でリタイヤすることはないと言っている。ただ、グランツールで完走の経験はない。
疲れということを考えると最後までベストな走りというのは期待できないかもしれない。マチュー・ファンデルプールは、二つのグランツールで何を見せてくれるだろうか?
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