2014ジロ・デ・イタリアで山岳賞を獲得したフリアン・アレドンドが静かに引退した。
2013年には、Team Nippo-De Rosaで走っており、ツール・ド・熊野やツール・ド・ランカウェイでも総合優勝しており日本にも馴染みの深い選手だった。
何度も、復帰を試みたが以前の力は帰ってこず静かに引退となった。
2014ジロ・デ・イタリア山岳賞獲得
17歳で2006年コロンビアジュニア選手権で優勝。2008年19歳でイタリアのアマチームに加入。
2010年にはGp Folignano – Trofeo Avisで優勝。イタリアでの活躍から、2012年にTeam Nippoに移籍して日本で走ることに。
2013年ツール・ド・ランカウェイで総合優勝。ツアー・オブ・ジャパン総合2位。ツール・ド・熊野総合優勝と活躍した。
そして、2014年Trek Factory Racing に移籍。最初のTir de San Luisで2つのステージ優勝、ティレーノ・アドリアティコ総合5位の実績からジロ・デ・イタリアに出場。
第8ステージから山岳賞ジャージをキープして、第18ステージでステージ勝利を上げて山岳賞に花を添えた。
結局、2014年がキャリア最高の年となってしまう。翌年には彼は身体的な問題に増々悩まされることになる。
梨状筋症候群
フリアン・アレドンドは、何年も答えを探していた。
医者の診察、休憩時間、手術の後、脚に問題が発生し続ける。ヨーロッパとアメリカの医師は問題を見つけることができなかった。
2014年のジロでは、右脚が最適に機能していないと感じていた。長い間説明を探していたが、梨状筋症候群と判明した。
これは、肉体的努力の間に私の足が麻痺することを意味する。サイクリストとして復帰しようとしたが、いつか決断を迫られた。
今後は
フリアン・アレドンドは、ヨーロッパで若いコロンビアの選手にコーチしたいと考えている。
15歳から20歳までのライダーのためのサイクリングスクールを始めたいと思っている。コーチはたくさんいるが、私は最高レベルでレースをするのがどんな感じか知っている。
サイクリストを上手く扱うことが重要だが、残念ながらいつもそうとは限らない。まず人に対処しなければならず、それから初めてサイクリストに対処しなければならない。
イタリアのアマチュアチームで苦労した経験と、日本の異国での生活、ワールドツアーの第一線で活躍したキャリアを生かして貰いたいものだ。
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