モニュメントを3つ制覇した男
1993年から2002年まで存在したチーム・マペイ。
1990年代に最強といわれたマペイは1996・1998・1999年にチームのメンバーだけで表彰台を独占するという快挙をなしとげた。
その、全ての表彰台に立っていたのが、アンドレア・タフィ。
当時のマペイには、現代のレースでは、ちょっと考えられないくらいの強さを誇ったメンバーが勢ぞろい。世界チャンピオンやらクラシックハンターがワンサカ。
- パオロ・ベッテーニィ アルカンシェルに2回
- ミケーレ・バルトリ
- ヨハン・ムセウ
- オスカル・フレイレ
- ガルゼッリ
- カンチェッラーラ 若い頃に在籍
今で言ったら、サガンが4人くらいいる感じのチーム。
アンドレア・タフィ
- 1966年5月7日生まれの52歳
- イタリア中央部のトスカーナ州出身。
- 1989年Eurocarでプロデビュー。2005年引退。
- ハンドルバーの上部を持ってガンガンと逃げるルーラータイプ。
クラシックレースの中でもモニュメントと呼ばれる5つのレースがある。
タフィは、このうち3レースを制しているのだ。
- ミラノ〜サンレモ
- ロンド・ファン・フラーンデレン
- パリ〜ルーベ
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ
- ジロ・ディ・ロンバルディア
そのうちタフィは北の地獄とよばれるパリ~ルーベで無類の強さを誇っていた。
そんな彼がパリ~ルーベに勝利してから20年。レースに復帰することを考えていると「ラ・ガゼッタ・デッロ・スポーツ」に語った。
This crazy idea came to me; to come back and race Paris-Roubaix again, Twenty years after winning it. An impossible dream? Maybe, but I want to try.
訳すると
「この狂ったアイデアが私にやってきたんだ。カムバックしてパリ~ルーベで戦うんだ。パリ~ルーベに勝利してから20年。不可能な夢? そうかもしれないね。でも、私は試してみたいだ」
タフィはパリ~ルーベを13回走って、1999年に優勝。2回表彰台を獲得しています。
2005年に引退した後、タフィは母国のトスカーナにサイクリングツアーロッジをオープンしています。
「私を雇う人を見つけなければならない」とターフィ氏は語った。
「今年の夏、若者に囲まれたイベントでレースをしたんだけれど、私はレースのペースを握ってたのさ。そして誰かが言ったんだ。
「なぜあなたはルーベのレースに復帰しないのですか?」
タフィは、Second-Tierクラスのチームと接触していたが、WorldTourレベルのチームには到達していないと言いました。
彼はまた、彼のライセンスを再活性化し、競技会への復帰の6ヶ月前にアンチドーピング管理が可能であることについて、UCIと連絡を取っていることを確認。
「グラディエーター」闘牛士と名付けられたタフィー。
1990年代後半にマペイのスーパーチームの一員であり、1990年代に北のクラシックを支配したイタリア世代のトップスターの1人でした。
タフィは、彼が1年間に18,000kmに乗っていて、20年前に着用したレーシングジャージーはまだ合っていると言いました。
「私はこれが見世物になることを望んでいない」
と彼は言った。
「もし私がレースするなら、私は自分自身を110%捧げるだろう。 パリ~ルーベをレースするアイデア。私はすべてをやりとげてみせるさ。この不可能な使命を味わってみようと思うのさ。」
上ハンドル持って、サイクリングキャップの上を切って、サンバイザー風に走るタフィの姿。
また見てみたい。あっ、でも今はヘルメットで走らないとダメですね。
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