トム・ピドコックの弟ジョセフ・ピドコックが、24歳でプロロードレースからの引退を決断した。
最後のレースとなったのは、2026年10月18日に閉幕したツアー・オブ・広西。兄トムと同じPinarello-Q36.5 Pro Cycling Teamで走り、最後は兄の勝利を目指して山岳でアシストした。
しかし、トムはステージ優勝にも総合優勝にも届かず、最終ステージと総合順位はいずれも2位。兄弟で勝利を分かち合うという願いはかなわなかった。
それでもジョセフの競技人生には、結果だけでは語れない苦闘と挑戦、そして最後まで走り続けた誇りがあった。
ジョセフ・ピドコック、24歳で引退を決断
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ジョセフ・ピドコックは、兄トムより4歳年下のイギリス人ロードレーサーだ。
2021年から2年間、Groupama-FDJの開発チームであるEquipe continentale Groupama-FDJに所属。2023年にはTrinity Racingへ移籍し、ツアー・オブ・ジャパンにも出場した。
Trinity Racingは2024年末に活動を終了。
ジョセフは2024年、Ronde de l’Isard(2.2U)でステージ優勝を挙げるなど成長を示し、2025年からは兄トムとともにQ36.5 Pro Cycling Teamへ加入した。
プロ選手として2シーズンを過ごしたものの、プロレースでの勝利を手にすることはできなかった。
2026年のツアー・オブ・広西を最後に、24歳という若さでプロ選手としてのキャリアに幕を下ろすことになった。
パリ~ルーベでは最後の完走者に
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ジョセフのキャリアを象徴するエピソードのひとつが、2025年のパリ~ルーベだ。
レース直前に出場の機会を得たジョセフだったが、3月初めのトロフェオ・ライグリアで脳震盪を起こし、約3週間の休養を余儀なくされていた。
十分な準備ができないまま、初めてのパリ~ルーベに臨むことになった。
レースでは先頭から大きく遅れ、ゴールのルーベ・ヴェロドロームに到着したのは、最終走者からも遅れた53分後だった。競技場の門はすでに閉じられていたが、まだ多くの観客が残り、最後の選手を拍手で迎えた。
ジョセフは、転倒もパンクもなく走り続けたと説明している。
途中では、レースを終える選手を回収する車両が近づき、もう完走できないのではないかと感じる場面もあった。それでも、パリ~ルーベを走り切る機会は二度と訪れないかもしれないと考え、最後まで走ることを選んだ。
このレースは、勝利や順位だけでは測れない彼の姿勢を示す出来事だった。どれだけ苦しい状況でも、与えられた機会を最後までやり遂げようとする姿がそこにあった。
最後のツアー・オブ・広西 兄の勝利を目指してアシスト
2026年のツアー・オブ・広西は、ジョセフにとってプロ選手としての最後のレースとなった。今回は兄トムと同じチームで走り、最後のレースをともに戦う特別な機会でもあった。
最終ステージでは、総合優勝を狙うトムを支えるため、ジョセフは山岳で先行する動きを見せた。自分自身の結果を求めるのではなく、兄の勝利を助けるために力を尽くしたのだ。
この時は、兄のために引いたけれど、ちょっとタイミングが速過ぎた。後ろをみると兄は、いなかったのだ。
結局、最後の上りではLotto Intermarchéのヤルノ・ワイダーが強さを発揮。トムはステージ優勝を逃し、総合でも2位に終わった。
トムはレース後、弟のプロ最後のレースで一緒に勝利することが夢だったと振り返った。
兄弟で勝利を祝うという理想の結末には届かなかったものの、最後のレースを同じチームで走り、互いに支え合えたことは、2人にとって忘れがたい経験となったはずだ。
兄の名前ではなく、自分自身の道を探して
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ジョセフは以前、兄が有名な選手であるためにチームへ加入できたのではないか、という見方にも向き合っていた。
本人は、プロ選手としての立場を引き受けたのは、自分にもその能力があると信じていたからだと語っている。
一方で、自信に問題を抱えていたことや、周囲から「トム・ピドコックの弟」として見られることを意識していた時期も明かしていた。
それでも彼は、兄の名前に頼るのではなく、自分自身の道を切り開こうとしてきた。2024年にはUCIレースで勝利を挙げ、2025年からはプロチームで兄やほかのリーダーを支える役割を担った。
今回の引退について、ADHDの診断や治療が直接の理由だったと示す情報は確認できない。
若くして競技生活を終える決断に至った背景のすべては明らかになっていないが、ジョセフがこれまで競技と日常生活の両面で困難に向き合ってきたことは、本人の言葉から伝わってくる。
最後のレースでは兄の勝利を支え、最後までチームの一員として走り抜いた。望んでいたプロ初勝利には届かなかったが、そのキャリアは単純に勝利数だけで評価できるものではない。





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