Fumyこと、別府史之が、来季のプロトン復帰を見送った。
EF Education-Nippoで走っていたが、プロ自転車選手としてのキャリアを終えることを発表。
FumyはSNSでの詳細な説明の中で、『新しいページをめくる時』と書いている。
17シーズンに渡り日本のトップ
【ご報告】
親愛なる皆様へhttps://t.co/PteU0RntWG #別府史之 #Fumy— 別府 史之 FUMY BEPPU 🚴🏽♂️ (@Fumybeppu) November 5, 2021
Fumyは、2005年にシニアとしてプロデビュー。ジロ・ヴァレ・ダオスタでステージ優勝するなど、好調なシーズンを過ごした後、ディスカバリーチャンネルと契約。
ランス・アームストロングとチームメイトになったこのアメリカのチームで、彼は3年間レースに参加した。
その後、スキル・シマノ、チーム・レディオシャック、オリカ・グリーンエッジ、トレック・セガフレード、ニッポ・デルコ・ワン・プロヴァンスとの契約もあった。今シーズンからは、EF Education-Nippoの一員として活躍していた。
17シーズンに渡って活躍してきたFumyは、その自転車人生に終止符を打つ。
夢の表彰台でレースをしていた17年間は、あっという間に過ぎてしまいました。私は20年前からヨーロッパに滞在しており、5分の1世紀にわたる自転車の進化をこの目で見ることができた。
毎年、新たな契約を獲得するための年であり、振り返る暇もなかった。そして2020年、パンデミックや現代の自転車チームの変化により、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなってきています。
かつて好きだったサイクリングの自由さは遠く、気がつけば楽しかった時代を振り返っている。これでプロとしての一区切りがついたことを実感した。
今後は、この経験を生かして日本とヨーロッパの架け橋になりたいと思っています。私は「自転車プロモーター」として、サイクリングの普及、教育、トレーニングを行います。私はサイクルを続けますが、スピードは違います。
3大グランツールおよび全モニュメントで日本人唯一の完走者であり、日本の第一人者として引っ張ってきてくれたFumyがいなくなるのは寂しい。
詳しい別府史之からの言葉は以下の公式サイトに書かれている。心からありがとうと言いたい。
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