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ドナルド・トランプはかつて自転車レース「ツール・ド・トランプ」を開催 ツールに匹敵する豪華さ

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Photo credit: Michael Vadon on Visualhunt.com
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ドナルド・トランプが勝利宣言して大統領となったが、80年代、大統領が自身のレースに資金を提供し、ツール・ド・フランスと争おうとしたことがあった。

その名も「ツール・ド・トランプ」。

グレッグ・レモンが活躍していたアメリカの自転車界の黄金時代のことだ。レモンは1986年にヨーロッパ人以外で初めてツール・ド・フランスで優勝。

アンドリュー・ハンプステンは1988年にジロ・デ・イタリアで優勝した。 米国のスポーツジャーナリスト、ジョン・テッシュ氏は、大規模な自転車レースをできるだけ早く米国で開催すべきだと主張。

レモンドとハンプステンの勝利後、彼は1989年の初版の主要スポンサーを探した。彼が見つけたのが、不動産王ドナルド・トランプだった。

 

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ツール・ド・トランプ

 

1989年、ドナルド・トランプは野心的なプロジェクト、ツール・ド・トランプを発表した。

ツール・ド・トランプはツール・ド・フランスと同じくらい重要なレースになるというのが当初の目標。このレースは世界で最も重要なものになることを意図しており、その賞金は25万ドル(約3,800万円)。

これは当時のジロ・デ・イタリアよりも多い賞金額。ツール・ド・フランスを除けば、世界のどのレースよりも高額な賞金だった。それプラス、他のどのレースよりも多くのアメリカの州を横断するレースとして紹介されていた。

ツール・ド・トランプは、1989年に10ステージ、1990年に11ステージの2年間争われた。

 

 

第1回大会でも、トランプ氏に対するデモ行動がおきた。1990年末、トランプ氏は税務当局との問題と差し迫った破産のせいでさらに激しい非難にさらされるようになった。

トランプ氏をめぐる大騒ぎのため、主催者は自転車イベントに他のスポンサーを誘致するのに苦労した。最終的に答えは単純で、トランプ氏の退場だった。その後、共同スポンサーのデュポン社がすき間に入った。

財政的な問題から、このレースは化学会社デュポンの出資によりツール・ド・デュポンと改称された。 この名称のもと、1995年、1996年にランス・アームストロングが優勝。

グレッグ・レモンも1992年に優勝者している。だが、ツール・ド・デュポンも1997年に終わっている。もし、トランプ氏の問題がなければ、今の続いていたのだろうか。

そうすると、アメリカでも自転車がずっとプロスポーツで成功していたかもしれない。

 

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