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欧州への道を切り拓いた福島兄弟・日本自転車界の先駆者世界への挑戦と次世代へのバトン

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新城幸也や別府史之がワールドツアーで活躍し、日本人選手が海外チームに所属することが珍しくなくなった現代。

しかし、その道は最初から舗装されていたわけではない。 道なき道を突き進み、フランスのプロトンに「日本人」という存在を認めさせた二人の兄弟がいた。

road.ccが特集した、福島晋一(兄)と福島康司(弟)の物語。それは、アジアの自転車界が世界に挑んだ「夜明け前」の記録だ。懐かしくなる人も多いでは。海外サイトで紹介されていたので嬉しくて要約して紹介。

 

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「クレイジー」と言われたフランスへの挑戦

Photo credit: spinn_FL on VisualHunt.com

 

1990年代後半から2000年代初頭、日本のロードレース界はまだガラパゴス的な状況にあった。そんな中、福島兄弟は安定した日本での地位ではなく、本場フランスのアマチュア界へ飛び込むという道を選んだ。

 

今でこそ日本人選手が欧州で走ることは珍しくなくなりましたが、あなたたちがフランスに渡った90年代後半は全く状況が違いました。なぜ、あえて厳しい環境を選んだのですか?

福島晋一(兄): シンプルですよ。本物の自転車レースがそこにあったからだ。

当時の日本国内のレースと、欧州のレースは全くの別物だった。本当に強くなりたければ、フランスに行くしかなかった。インターネットも普及していない時代だったから、辞書を片手に手紙を書いて、ファックスを送って……文字通り手探りでチームを探した。

 

フランスのアマチュア界での生活は過酷だったと聞きます。

福島康司(弟): 家賃の安いアパートに二人で住んで、食事も質素なものだった。でも、不思議と辛いとは思わなかったね。毎日レースがあって、そこで結果を出せば認められる。そのシンプルさが楽しかったんだ。

 

 晋一: 俺たちは失うものがなかったから、レースでも積極的に攻められた。フランス人たちは「なんだこの日本人たちは?」と思ったでしょうね(笑)。でも、その特攻精神とも言える走りが、現地のファンや関係者にリスペクトされるきっかけになったんだ。

 

90年代のフランスアマチュア時代を経て、2000年代中盤にはTeam Bridgestone – AnchorやCycle Racing Team Vang 、Meitan Hompo GDRといった日本のチームでアジアや欧州を転戦しました。

特に2005年のツール・ド・ランカウイ(当時HCカテゴリー)での康司さんのステージ優勝は衝撃的でした。

福島康司(弟): あの時はTeam Bridgestone – Anchorのジャージを着ていた。 相手は欧州のトッププロたちだったが、逃げに乗って、最後は独走で勝ちました。

アジアのチームに所属していても、世界のトップチームに勝てるんだと証明できた瞬間でした。 僕たちのやり方は、常にアグレッシブであること。それがフランスのアマチュア時代に叩き込まれた哲学でしたから。

 

その後、2008年にはMeitan Hompo GDRとして、日本のチームでありながらフランスのレースを主戦場にしました。これは異例のことですよね。

福島晋一(兄): そうですね。自分たちが欧州のプロチームに移籍するのではなく、日本人のチームごと欧州に持っていくという無茶な挑戦でした(笑)。

康司や新城幸也たちと一緒に、ボロボロのキャンピングカーでフランス中を転戦した。資金も潤沢ではなかったけれど、ハングリー精神だけは誰にも負けなかった。

 

その活動が、結果として新城幸也選手のブイグ・テレコム(現トタル・エネルジー)入りに繋がりました。

晋一: 僕らがフランスのレースで、めちゃくちゃに攻撃的な走りをしたんです。常識外れなほどに。 それを見ていたジャン=ルネ・ベルノドー(ブイグ・テレコム監督)が、「この日本チームは何なんだ? 面白いじゃないか」と興味を持ってくれた。

結果として、僕たちがこじ開けたその扉から、幸也が世界へ羽ばたいていった。僕ら兄弟が直接ワールドツアーのチームに入ったわけではないけど、そこへ至る道を舗装することはできたと自負している。

 

まさに「先駆者」としての役割ですね。

康司: 僕たちのキャリアは、エリート街道ではなかった。泥臭く、手探りで進んできた道なんだ。

でも、2004年から2008年頃にかけて、アンカーや梅丹本舗で世界と渡り合った日々があったからこそ、今の日本のロードレース界の基礎があると思っています。後輩たちがその道をさらに広げてくれることを願っている。

 

福島康司選手は表彰式でよくハーモニカを吹いてましたね。福島晋一選手は逃げる男として特集されていたこともあったかと。二人の活躍があったことで海外にいける若手が増えたのは事実ですね。

 

 

 

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