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逃げる男! 初山翔 ジロ・デ・イタリアに至る道のり

海外情報
photo Luca Bettini/BettiniPhoto©2019
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30歳にしてつかんだ初山翔の、ジロ・デ・イタリアへの出場。

だが、これまで決して順調にここまでこれた訳ではなかった。

彼がいかにして、ジロ・デ・イタリアに初出場出来たのかを追ってみることに。

 

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きっかけは「タッチ」?

 タッチ (C)あだち充 / 小学館・東宝・ADK

自転車を競技として取り組み始めたのは、高校1年生になってから。それまでは趣味として遊んでいた程度だったそうだ。

 

きっかけは、「タッチ」を読んで、全国大会出場というものに憧れたからだという。

 

タッチとは

あだち充の野球漫画。高校野球を題材に、双子の兄弟である上杉達也・和也と幼馴染の浅倉南の3人を軸にした恋愛を絡めて描いている。

彼は自転車部のない神奈川県立麻溝台高校で、理解のある先生との出会いにより、たった一人で自転車部を設立。

高校2年生で県大会で2位。関東大会で5位。高校3年生では全国大会入賞を果たし、日本代表としてカナダの8日間のステージレースを走っている。

この時の海外遠征の体験で、彼は「プロになりたい」と心に思ったのだ。

 

ヨーロッパへの足掛かり

2007年 夏季欧州遠征  photo(c):kinuyo

大学進学を断念することを許してくれた両親。

けれど、いきなりヨーロッパで走れる訳ではない。まずは、自転車を始めた頃から世話になっていたYOU CANで実業団登録。

ここには、OBの畑中勇介や村山規英が当時フランスで活躍しており、その話を聞くたびにヨーロッパでの走りに惹かれていった。

U23カテゴリー1年目にして、実業団レースでの走りを評価された初山は、ヨーロッパ海外遠征の日本代表として走ることに。

ここではフランスで3レース。イタリアではトップアマチュアと一緒に走れるUCIカテゴリーのレースに出場。

これまで体験したことのないスピードで走るレースに楽しくてしょうがなかったそうだ。

 

2007 GRAN PREMIO Bastianelli photo(c):kinuyo

 

この時の一つのレースで上位に入り、ナショナルチーム監督を務めていた大門宏に

「来年、ヨーロッパで走らないか?」

と打診を受けた。その場で「ハイ!」と答えてヨーロッパで走ることが決定。

さらに、イタリアでの走りが評価されて、2007年のU23世界選手権代表となった。こちらはメカトラでリタイヤ。

ただ、世界選手権の空気にふれたこと。エリートの選手との共同生活は自分の経験と財産になっている。

 

イタリアでの経験

2010年 COPPA COLLI BLIANTEI

NIPPOの紹介で、イタリアのU23カテゴリーのアマチュアチームに所属することになった。

しかし、このイタリアでの競技生活はとても厳しいものだったそうだ。

イタリアでの困ったこと
  • 言葉が通じない
  • 日本人はいない
  • ネットもつながらない時がある
  • 細かいカテゴリーがない
  • 強い選手と一緒に走る
  • 春先のスピードが異常に速い
  • 完走が難しい
  • 良い走りが出来ると元気になる
  • 成績が悪いと情緒不安定になる

イタリアでは、選手層が厚く細かいカテゴリー分けがない。強い選手しか生き残れない環境だった。

初山選手にとって、イタリアでの3シーズンは著しい成長が出来たとは言えないと語っている。

しかし、イタリアでの経験は一生の財産であり、自転車競技に対するスタンスはとても刺激になり、大きな影響を与えているという。

 

日本での走り

宇都宮ブリッツェン

2011年 宇都宮ブリッツェン加入 photo(c):Tatsuya.Sakamoto

自分の成長を考えた時に、環境を変えることを考えていた初山は栗山監督と話をする機会があり、日本で競技をすることを決意。

ただ、ヨーロッパで再び走りたいという夢は捨てた訳ではなかった。

2011年に宇都宮ブリッツェンに加入し、2シーズンを走った。

 

BRIDGESTONE ANCHOR CYCLING TEAM

http://shostopper.info/?month=201301

BRIDGESTONE ANCHORに移籍

2013年にBRIDGESTONE ANCHOR CYCLING TEAMに移籍。

 

2013ツールド沖縄の優勝 photo:So.Isobe

2013ツールド沖縄で優勝。初めてのUCIレースでの勝利となった。

 

2016全日本優勝 photo:Makoto.AYANO

そして、2016年の全日本選手権で優勝。チームメイトの西園選手とのワンツーフニッシュを決めた。

2017年の全日本は、鎖骨骨折でリタイヤ。

 

ツアー・オブ・ジャパン山岳賞 photo:Hideaki.Takagi

2017年にはツアー・オブ・ジャパンで山岳賞を獲得。

 

NIPPO VINI FANTINI

http://teamnippo.jp/team-hatsuyama-sho

 

2018年5年間在籍したブリジストンアンカーからNIPPO VINE FANINIに移籍。

NIPPO VINE FANINI

2015年からUCIプロコンチネンタルチームに昇格したイタリアのプロチーム。

株式会社NIPPOとヴィーニファンティーニ(ファルネーゼヴィーニ社)、ファイザネ社がメインスポンサー。

2019年に第3スポンサーに加わったファイザネ社は、イタリアのプラスチック加工会社。

バイクは、ミラノに工房を構える老舗自転車メーカー・デローザと提携し、選手たちはデローザのフラグシップモデルである『プロトス』『SKピニンファリーナ』『キング』で走っています。

デローザ プロトス

 

初山は10年ぶりに、活動拠点をイタリアに移し、ヨーロッパのコンチネンタルサーキットレースを連戦。

2018年にはミラノ~サンレモ150位。ツール・ド・スイス135位とワールドツアーレースを完走。

今シーズンは、ストラーデビアンケも走っている。ジロ・デ・イタリアへの出場はシーズンの早い時期に打診されていたようだ。

そして、ジロ・デ・イタリア第3ステージでの一人逃げ。

 

第10ステージでもチームオーダーでスタートから逃げた!

 

プロコンチネンタルチームとして、ジロ・デ・イタリアにワイルドカードで出場しているNIPPO VINE FANINI。

メディアへのアビールとして一人逃げを成功させたことは、スポンサーに取ってとても嬉しい宣伝となった。

第3ステージで有名人となった初山が第10ステージでも逃げたことは、素晴らしいアピールだ。

これで、来年のNIPPO VINE FANINIのジロ・デ・イタリア招待は確実ではないだろうか。

 

これからの初山翔

http://teamnippo.jp/archives/5407

 

これまでにジロ・デ・イタリアに出場した日本人選手は以下の9名

  1. 市川雅敏 1990年完走(総合50位) 1993年第15ステージでリタイア
  2. 今中大介 1995年第14ステージでリタイア
  3. 野寺秀徳 2001年第13ステージでリタイア 2002年(総合139位)
  4. 新城幸也 2010年、2014年完走(2011年総合93位、2014年総合127位)2010年第5ステージ3位
  5. 別府史之 2011年、2012年、2014年、2015年完走(2011年総合67位、2012年総合121位、2014年総合82位、2015年総合117位)
  6. 石橋学 2015年第9ステージでリタイア
  7. 山本元喜 2016年完走(総合151位)
  8. 西村大輝 2019年第1ステージでタイムオーバーでリタイア
  9. 初山翔 2019年第3ステージ フーガ賞(逃げ賞)獲得

すでに、初山はジロ・デ・イタリアで大きな足跡を残した。イタリアでのメディアの取り上げようは凄まじいものがあるが、本人はどちらかというとウンザリしている模様。

ただ、チームの指示で逃げただけだからだ。しかも、他の選手が逃げを狙わないステージでのアタック成功だった。勝つためのアタックではなかった、というのもあるだろう。

だが、第3ステージでの145キロにも及ぶ一人での逃げは称賛に値する。それがどれだけ大変かわかっているイタリアのメディアだからこそ、取り上げられるのだろう。

是非、山岳でも生き乗って、最後のゴールまで頑張って欲しい。

 

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