マキシミリアン・シャフマン(BORA – hansgrohe )、パリ~ニースの最終日に、優勝ではなく2位を守るために走り出した。
だが、数時間後、彼は「太陽へのレース」の連覇者として、イエロージャージを着て表彰台に立っていた。
この結果は誰も予測していないものであり、シャフマン自身も複雑な心境のようだ。
最初のパンクでは誰も待たない
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ゴール後のシャフマンは次のように語っている。
今日の出来事は誰も予想していなかった。混沌としていた。複雑な心境です。
イエロージャージを着てここにいることは素晴らしいことだが、別の方法で勝ちたかった。
こんなふうに勝つのはいいことではないし、とても難しいことなんだ。
その気持ちは、肩を脱臼して3分以上も遅れてゴールしたログリッチが、シャッフマンに近づき、丁寧にガッツポーズをしていたことからもわかる。
シャッフマンは、申し訳なさそうに手を上げた。
ログリッチは、シャックマンが謝罪する必要はないと考えていたようで、2度目の転倒をした後に、シャフマンのチームが加速していたことも認めている。
この時には、レースディレクターも気付いていないし、見ているライダーも少ない。転倒の情報は後から皆に伝わっている。
混乱の始まりは、実は私だった。7キロ地点でパンクしてしまい、誰も待ってくれなかったので、もうダメだと思った。チームのおかげで無事に戻ってこれた。
そして突然、プリモッシュが目の前で転倒したんだ。みんなで待っていた。
次に、また転倒したが、それは難しいことで、レースは始まっていたし、強力なブレークがあったので、我々は行かなければならなかった。
チームはステージ優勝を目指して戦った。彼らが何をしたのかは知らないが、本当に危険だった。とても滑りやすかったんだ。
転倒しないように、すごくゆっくり走っていた。何メートルか失ったこともあったが、転倒するよりも下りで少し控えめに走ったほうが賢明だと判断したんだ。
シャフマンは、92.7kmのステージで2回通過した、レバンスのゴールからヴァール川への下りが危険だと付け加えている。
マキシミリアン・シャフマンは、ログリッチがいなくなったことで、アスタナのアレクサンドル・ウラソフと、ヨン・イサギレのコンビからのアタックをかわして10位でステージを終え、19秒差で総合優勝を決めた。
一方、ログリッチは15位に後退した。このレースでの連覇は2003年のアレクサンドル・ヴィノクロフ以来のことだ。
マキシミリアン・シャフマンのレーススケジュール
マキシミリアン・シャフマンは、ジロ・デ・イタリアでエマヌエル・ブッフマンのアシストをするのかと思っていたけれど、グランツールの予定が削除されている。
BORAのチームはキャンプで交通事故にあっており、ウィルコ・ケルデルマンのツール出場も危うくなっているので、ひょっとするとマキシミリアン・シャフマンがツールに出場するかもしれない。
4月5日開催のバスクカントリーでは、プリモッシュ・ログリッチと再度の対決となりそうだ。
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