史上最強のロードレーサーと呼ばれるエディ・メルクス。
16年の競技生活で525勝。ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを5回制覇。
ブエルタも1回優勝。出るレース全てを勝たないと気が済まない彼はレーサー仲間から人食い「ザ・カンニバル」と呼ばれていた。
現在のようにパワーメーターや心拍系などあるはずもなく、一体どのようにトレーニングしていたのか気になりますよね。
彼の1969年ツール・ド・フランス前の練習を見てみましょう。
エディ・メルクス
エディ・メルクスは、史上最強のライダーとも言われ「カンピオニッシモ」の称号ももつ。
長い自転車の歴史の中でも「カンピオニッシモ」と呼ばれているのは、エディ・メルクスとファウスト・コッピだけである。
チャンピオンの中のチャンピオンのこと 伊:Campionissimo
同一年度内にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの両方を制する「ダブルツール」を1970年、1972年、1974年の3回も達成。
1974年はさらに世界選手権も制して「トリプルクラウン」を史上初めて達成した選手でもある。
時々彼は一日中外出してトレーニングしていたそうだ。
大きなレースは最大7時間続くので、9時間のライドは体を慣らすのに良く、精神的にも余裕を生むと言っている。
メルクスは脚を締めるために多くの運動ペースのトレーニングを行い、冬には6日間のトラックレースに乗ってスピードを上げ、体重を抑えていた。
トラック競技にも取り組んでいたので、ブロとアマ通算で525勝という記録を作ることが出来たのですね。
1969ツール・ド・フランス前の1週間
彼のトレーニング日記からツール・ド・フランス前の練習内容がわかる。
彼は実質的に休息を取ることがない。
練習内容を見るとツール・ド・フランス前だというのに調整という言葉もないようだ。
日曜日:ベルギーナショナルチャンピオンシップ、264kmのレース
月曜日: 2レース、110kmのレースとイブニングトラックミーティング
火曜日:カーメッセに出場したが、サインを要求する人々によって他のライダーからスタートすることを妨げられたため、35km地点でリタイヤ
水曜日:彼のチームとのトレーニング、180km
木曜日:彼自身のトレーニングで270km
金曜日: Dernyバイクの背後で50km(このセッションは長くなる予定だったが、激しい雨が原因で危険すぎた)
土曜日:朝、40キロ高速。午後、簡単に40キロ。夕方、ツール・ド・フランスのプロローグ。
結局、エディ・メルクスは、1969年のツールでは6つのステージ優勝を獲得。チームタイムトライヤルも含めれば7ステージ優勝だ。
ちなみに、プロローグは7秒差で2位となっている。
1969年のツールは、イエロージャージに加えて、ポイント賞。山岳賞。おまけに敢闘賞まで獲得している。
まさにザ・カンニバルですね。
なお、現在エディ・メルクスは10月中旬におきた自転車事故で受けた頭部外傷からの復帰中だ。
ベルギーの年間最高のライダーに贈られるクリスタルバイク賞でレムコ・エヴェネプールに受賞の賞を手渡したが30分で退出している。
74歳と高齢となったが、自転車に乗って回復したいと言っているので大丈夫でしょうね。
コメント
当時は設定無かったが新人賞も獲得したはずです 区間8勝もタイ記録だが対処する昔の記録は平地ステージのみ確かペランペルシェ?だからエディ メルクスさんは山岳ステージ勝利も有るから凄い 何故彼はそこまでフルバワー以上で前トレーニング レースした理由は彼はニセドーピング事件で同年のジロを追放された じゃあ私の実力を証明しようと彼は後のレース今年分が出場できなくなるかも知れないがあらん限りの力でこの大会に勝利する!決意で臨んだようです ジロのドーピングはマフィアが関係者政府を脅した結果らしいです マフィアはエディの実力を過小評価して居てエディのライバルジモンディが勝つと掛けて居たのでエディが∧と破産?かなりやばかったらしいので脅してエディをレースから除外したらしいです 後年当時の関係者のコメントです マフィアもこの大会でエディの凄さ判ったので次の年からはエディが1番と云う掛け率になったようです それは当時の関係者選手達も同様で1番マークにエディを置いてレースせざるを得なくなったようです エディは不得意なロードレースは無かったのでライバルたちは奇襲作戦しか無かったようです!
今の時代では考えられないほどのパワーと支配力を持っていたんでしょうね。
この時代のエディ・メルクスの走りをを実際に見てみたかったものですね。不得意なレースがないというのが凄い。
まるでタディ・ポガチャルのような感じだけど、彼よりも凄かったのかもしれない。時代ごとに違うので、それもまた面白いです。