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フェルナンド・ガビリアの完全復活の鍵を握った人物とは?

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Photo Fernando Gaviria instagram
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ブエルタ・ア・サンファン第4ステージではフェルナンド・ガビリアが第2ステージに続いて2勝目をあげた。

春先にトラックでの落車から膝を痛めてしまいジロでリタイヤ。2019年シーズンQuick-Step FloorsからUAE-Team Emirates移籍して6勝をあげるに留まった。

だが、フェルナンド・ガビリアはシーズン開幕から2勝をあげ復調をとげた。

フェルナンド・ガビリアが、今シーズン開幕から完全復活した鍵を握る男とは?

 

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復活の影には

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2019年フェルナンド・ガビリアが6勝しか挙げられなかった理由の一つに膝のケガ以外に信頼できるリードアウトマンの不在もあげられていた。

ガビリアがスプリントの前に「マックス」と叫ぶだけで、位置を把握してゴールまで連れて行ってくれる親友であり、トレーニング仲間でもあるマキシミリアーノ・リケーゼがいなかったことも大きな要因の一つだったのだ。

マキシミリアーノ・リケーゼは4年間在籍したQuick-Stepで、トム・ボーネン、エリア・ヴィヴィアーニ、アルバロホセ・ホッジらを勝利に導いてきた立役者。

当然、フェルナンド・ガビリアとも数多くの勝利を飾っている。

37歳の誕生日を迎えるライダーに1年以上の契約延長は出来ないというチームからの申し出は移籍決定の主要因だったが、UAE-Team Emiratesを選んだ理由はフェルナンド・ガビリアとの友情のためだったという。

もう1年Quick-Stepで走るよりも、友を選んだ訳だ。

彼らはレースで連携し、夕方にはルームメイトとなる。レースを離れても、彼らは定期的なトレーニングパートナーだ。ガビリアとリケーゼはモナコの同じブロックのアパートに住むご近所さんでもあり、公私ともにいつも一緒にいるのだ。

 

Photo Fernando Gaviria instagram

 

2019年シーズンを迎える前、彼ら二人はチームが違っても一緒にトレーニングをしている仲の良さを見せている。

友達にならなくても仕事をすることはできる。だが、自転車から離れてもその関係を持っているとき、チームメイト、またはこの場合、私の友人のためにもう少し多くを与えることができる。

 

トラック競技での経験

Photo FndoGaviria twitter

 

もう一つ理由がある。スプリンターとリードマンの間のシームレスなパートナーシップは、友情だけにもとづいているわけではない。

リケーゼは、トラック競技の経験が、ゴール前の熱狂的な暴走の混乱の中でも、ほぼ直感的にお互いを理解するのに役立つと主張している。

我々は同じレーシングメンタリティを持ち、それを同じように見ているので、フィナーレではあまり話さない。
彼はただ「マックス」と叫ぶだけでよく、私は彼が何を望んでいるのか理解している。彼が私の名前を呼ぶとき、車輪を失ったか、私たちが正しい位置にいないことを理解する。

私達は、最初のレースからお互いを理解した。フェルナンドには特別な性格がある。自信を得るには時間がかかるが、私と一緒に走った最初のレース、ツール・ド・サンルイスから、彼は盲目的に私を信頼しました。

トラック競技においては、瞬時の判断で勝敗がわかれる。踏み込みが一瞬遅れると勝負に絡むことさえ出来ない。

二人はトラックで培ったノウハウをお互いに持っているのでロードスプリントでも生かすことが出来る。

フェルナンド・ガビリアの今シーズンの復調にはお互いを信頼し認め合っているマキシミリアーノ・リケーゼの存在が欠かせなかったのだ。

 

スプリンターからリードアウトへの変遷

Photo maximilianoricheze instagram

 

ブエノスアイレス近くのベラビスタの出身であるリケーゼは、サイクリングファミリーの出身で、弟のマウロ・アベル・リケーゼとは2013年にTeam NIPPOで一緒に走っている。

首都周辺では、トラックサイクリングが最も人気のあるスポーツ。リケーゼの説明によると、アルゼンチンでは西部のサンファン州だけでロードレースが開催される。

ロードレースをしたいというリケーゼの欲望は、彼をアマチュアとしてイタリアに連れて行き、CSF Group NavigareからTeam NIPPOとレースをしてから、2013年にLampre – Meridaでワールドツアーに参加。

その時点では、リケーゼはスプリンターとして活躍していたが、ランプレでの在職中、彼は徐々にリードマンとして仕事をすることが多くなった。

リケーゼはスプリンターとして年に3~4勝をあげていたが、ワールドチームでスプリンターとして活躍するには、年に10勝以上勝つ必要がある。自分のキャリアを伸ばすにはリードアウトマンとして活躍することがベストの選択だった。

少なくとも当初は、変更は簡単に消化されない。スプリンターは自分のことだけを考え、フィニッシュラインまで競争することを強いられる。リードマンは、200メートルほど離れた目に見えないターゲットまでレースに適応する必要がある。

 

私はメンタリティを変えなければならなかったが、最初は簡単ではなかった。

とリケーゼは認めている。

彼はボジションの変更以来勝利を味わっている。彼は現在アルゼンチンとパンアメリカンのロードレースチャンピオンだ。しかし、それはスプリンターとして活躍してた時代と同じ頻度で勝っている訳ではない。

 

Photo FndoGaviria twitter

 

代わりに、彼の成功は現在、他者の勝利によって変えられている。感覚は表彰台の上に立つ感覚とは異なるが、独自の方法で報酬を貰っている。

まったく同じというわけではないが、感情は非常に強い。フェルナンドが2018年のツール・ド・フランスで黄色いジャージを手にしたときのように、自分でスプリンターを続けていたら達成できなかった目標がある。

フェルナンドの最初のツールでスプリントをリードし、彼が黄色いジャージを着るのを見るのは、とても強い感情だった。そのフィニッシュラインでは、自分がその一部だったので自分が勝った気がしたんだ。

ブエルタ・ア・サンファンの第2ステージではマキシミリアーノ・リケーゼが13km地点で落車。第4ステージでは二人の連携でステージ勝利。

フェルナンド・ガビリアは、リケーゼがいてくれたほうが勝利が近いと言う。これからも二人は、信頼しあったきずなで勝利を量産していくことだろう。

 

こちらはブエルタ・ア・サンファン第4ステージ

 

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