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「あの時、ポガチャルはブエルタを制覇できていた」 チーム代表が振り返る驚異のルーキーイヤー

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Image credit : chan
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すでにツール・ド・フランスを4度、2024年にジロ・デ・イタリアも制覇しているタデイ・ポガチャル。

あとはブエルタ・ア・エスパーニャだけを制すればグランドツアー完全制覇となるのだが、UAE Team Emirates – XRGのGMのマウロ・ジャネッティによるとルーキーイヤーの時にブエルタ制覇は可能だったといっている。何を語ったのか見てみよう。

 

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幻のブエルタ制覇

 

タデイ・ポガチャルと初めて会ったのはいつですか?

うちのスポーツマネージャーであるマチンが、以前からタデイのことを追っていた。 彼が2018年にチームのサポートなしでツール・ド・ラヴニールを印象的な走りで制したんだ。その後、ミラノにある我々のサービスコースで初めて個人的に会った。

そこで最初の契約を結んだ。 すぐに彼にはカリスマ性があることがわかった。オープンマインドで、できるだけ早く多くのことを学びたいという強いハングリー精神を持っていた。

当時まだ19歳だったが、自分が何を望んでいるかを正確に理解していた。

 

当時から世界最高の選手になるという予感はありましたか?

実を言うと、その時点での彼はまだ少し太っていたんだ。 今よりも確実に4kgは重かった。 それでも彼は、長い上り坂で同年代の最高のクライマーたちを打ち負かしていた。

もちろん期待はしていたが、まさかタデイが今のような選手に成長するとは、当時は夢にも思っていなかった。誰も予想できなかっただろう。

だが、彼が他の才能ある選手たちよりも遠くへ行けるだろうということは確信していた。

 

何が彼を特別にしていたのでしょうか?

彼には何か特別なものがあった。ある種のエネルギーを感じたんだ。 それは私がシドニー五輪でロジャー・フェデラー(テニス)に初めて会った時のことを思い出させた。

フェデラーも当時18歳で世界ランク34位だったが、話すとすぐに特別なものを持っていると感じさせられた。タデイにも同じものを感じたんだ。

 

ポガチャルに衝撃を受けた瞬間として、2019年のブエルタ・ア・エスパーニャ第20ステージでの勝利を挙げていますね。あの時、彼は残り39kmを独走し、後続の有力選手たちは全く差を縮められませんでした。

ええ、彼らは実際に1mも近づけなかった。 実のところ、モビスターがある時点で全開になって集団を牽引して追走したからであって、そうでなければ、プリモシュ・ログリッチではなくタデイがそのブエルタですでに優勝していただろう。

まあ、でもそれが自転車レースというものだ。我々のチームでの最初の年、彼はツアー・ダウンアンダーで13位でフィニッシュした。プロのステージレースで彼がトップ10に入らなかったのは、チームの監督が戦術的なミスを犯したためだ。

その後、彼はアルガルヴェとツアー・オブ・カリフォルニアで優勝したが、確かにブエルタは最高だった。この日、私はタデイが本当に特別な選手であることを確信した。

 

第20ステージのゴールでのタイム差は1分32秒。トップのプリモッシュ・ログリッチまではスタート時点で4分49秒差あったので逆転は難しかっただろう。それこそタイム差が縮まればJumbo-VismaもMovistar Teamと共に追走していたはず。

だが、間違いなくこの日最高の調子だったのは、タデイ・ポガチャルだったのは間違いない。

元々エースナンバーはファビオ・アルだっだが第13ステージでリタイヤ。ルーキーイヤー1年目でエースというのはさすがにない。仮に最初からエースで守られていたら可能だったかもしれないがマークされる。まあ、これも仮説だ。

このブエルタではステージ3勝。当時から傑出したライダーだったのは間違いのないことだ。

 

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